I Love You, Mr. Robot

─手塚治虫の『鉄腕アトム』

 

「原則をいえば出会いの瞬間に『面白い』っていうのと、僕が今やっている相対評価とは同じじゃないわけです。

僕がただの読者なら同じだってかまわないですよ。『どろろ』は面白いよっていえばすむんです。僕自身は年代的には『アトム』の方が好きだとか、そういえばすんじゃう。君はそうなのか、僕はこうだよって、それで終わるんですよ。でも、ただの読者の視線じゃなくて表現史的な批評行為として分析する場合には、そうはいかない。手塚治虫の全体、戦後マンガ史と関わる側面から、他の作家とも比較していくわけです。()

自分の出会いの思いがある作品は、他人が何をいっても何か気に食わないってとこがあって、多少批判的に扱われると(批判は否定じゃないですけどね)自分が傷つけられたみたいに思うことがあります。でも、一応批評という場所に自分を選ぶためには、そういう個人史的な感情と相対評価の批評の軸とは、いったんは切り離さなきゃいけない。自分の評価のベースに出会いの感情があることを、きちんとおさえるためにも、それは必要なんですね」。

夏目房之介『手塚治虫の冒険』

 

『鉄腕アトム』はある編集者の一言から誕生している。手塚治虫は、一九五一年四月から一年間、月刊マンガ雑誌『少年』に『アトム大使』を連載していたが、評判は芳しくなかった。『アトム大使』が終わる直前、手塚の『ぼくはマンガ家』によると、編集長が、「どうです。こんどは、アトム坊やを主人公にして稿を新たにしてみんですか。あの人物が一番好評だったから」と勧めた。脇役として出ていたロボット「アトム」を主人公にして新たな作品を描かないかという提案に手塚は躊躇したけれども、編集長は「ロボットだが、アトムには血の通った人間の性格を持たせたいですね。そして、読者が、自分達とおなじ仲間だと思うような親近感をね。だから首がとれたり、手がとれたりするようなのじゃなく、泣いたり笑ったり、正義のため怒ったりするようなロボットにするんです」と続けた。

『鉄人アトム』と予告していたもの、「重っくるしい」ので、『鉄腕アトム』として、その作品は、一九五二年四月から、連載が始まった。『鉄腕アトム』はかつてないほどの評判を生み、『少年』を中心に発表され続けた。しかし、一九六八年三月、『少年』の廃刊とともに、「火星から帰ってきた男」を最後に、連載を終えた。その後、いくつかのメディアで何度か掲載されている。

『鉄腕アトム』は十五年以上に渡って連載されたため、手塚の表現の変化を体現している。一九五〇年代には最高のマンガ家だったが、虫プロが発足した一九六〇年代に入ると、手塚の線に変化が見られるようになり、一九七〇年代になるまで、新たなスタイルが決まらなかった。六〇年代、手塚はアニメ制作に時間的・経済的余裕をとられ、劇画の台頭による焦りと苦闘している。『鉄腕アトム』は未来を予測しているだけでなく、手塚治虫のその後を表象している。

手塚は、『マンガの描き方』の中で、「ぼくは、戦後のマンガを、映画的に変えて、また内容的にもかなり変革したと自負している。ぼくの漫画から、戦後の長編漫画が確立されたと、気が弱いぼくだけど、これだけはそう信じている」と言っているが、戦後マンガは手塚治虫のマンガに対する注釈にすぎない。手塚は長編マンガというジャンルを確立しただけではなく、さまざまな「新機軸」を生み出した。女性の目に星を入れ、まつげを三本大きく描くのも手塚が思いついた。マンガは絵とコマ、言葉によって成り立っているが、それらは記号である。マンガは現実を再現するものではなく、記号の体系である。手塚はその文法を整理し、マンガにおける論理学を確立した。拡大していくマンガ産業の需要に応えるために、当時主流だった(正確であるがスピードのでない)丸ペンに代わってスクール・ペンやGペンを使ったり、下書きをせず直接絵を描いたり、ネームきりやスクリーン・トーンの使用、アシスタント制、プロダクション・システムの採用も手塚が最初に試みている。国産初のテレビ・アニメ制作も手塚が行い、後のアニメ産業の礎になった。さらに、盗作が横行している日本だが、『ミクロの決死圏』(一九六六)や『ライオン・キング』(一九九四)など手塚作品をモデルにした映画やアニメが、手塚の許可なしに、アメリカで制作されている。戦後、手塚治虫ほどの存在は、文学を含めたいかなる領域にも、日本にはいなかった。手塚治虫がマンガという産業を発展させ、新たな雇用を確立した。世界的影響力という点では、手塚治虫は、日本の歴史上、最大の存在の一人である。

 

All of those wild American bilinguals
who talk to you in
Paris of their lonely lives
school days and last days out there in the midwest
they climb on their liners and rejoin their wives

Walking down boulevards electric eyes
would gaze at the waveforms and gasp at their size
let them be lonely and say you don't care

Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade

Una with long hair will stand by your side
and the friends who were hungry could swallow your pride
chromium pets that video screens would show
pictures of helplessness old kings and queens
radio stations that fade as in dust

all their transmitters are crumbling with rust
let them be broken and say you don't care

Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Astro boy, I'm watching the proles on parade
Let them be broken and say you don't care
Astro boy, I'm watching the proles on parade

(The BugglesAstro Boy (And the Proles on Parade)”)

『鉄腕アトム』に目を通すと、既存のサイエンス・フィクションからの影響は多数見られるものの、たんに新たな電気製品の開発を予言しただけでなく、手塚の先見的問題意識に驚かされる。「黄色い馬」(一九五五−五六)では、未成年の麻薬問題が描かれている。「赤いネコ」(一九五三)において、環境問題が取り上げられ、四足良太郎というエコロジストによるグリーン・ピースを思い起こさせるような直接行動が表わされている。高度経済成長を迎えつつあった時期に環境問題を警告することは異例だった。” All the buildings I have loved are barely standing. All the children too young and thin sing bamboo music”(Ryuichi Sakamoto & David Sylvian ”Bamboo Houses”).「白熱人間」(一九六一)はデジタル・デバイドの問題を扱っている。アトムのようなロボットが開発されている反面、電気さえろくに通っていない地域がある。こうした格差は、今日、世界的に、最も深刻な政治・経済問題の一つである。さらに、手塚は、「イワンのばか」(一九五九)において、一九六五年、ソ連のミーニャ・ミハイロヴァナ中尉がイワンというロボットを同行してウラルに搭乗し、人類として初めて月面に着陸すると予測している。アメリカが打ち上げたアポロ11号の着陸船イーグルから月面に降り立ったニール・アームストロングが”It’s small step for man; one giant leap for mankind”と言ったのは、一九六九年七月二十日のことである。また、「宇宙放送」(一九六五−六六)では、宇宙の放送局が流している番組を地球のロボットが感知するために、受信料を請求されるという物語だが、これはBSCSを予言している。特定の物語ではないものの、精巧な人工ビーチである宮崎県のフェニックス・シーガイア・リゾートに足を運んだ者は、まるで『鉄腕アトム』の世界にいるような錯覚を覚えるだろう。

ロボットに関する議論は、アトムの体内に真空管があるのは御愛嬌としても、『鉄腕アトム』において出尽くしている。イギリスのレディング大学のケビン・ウォリックは、「人はいずれ有能なロボットに支配される。ならば人間の能力を強化し、共存を計るしかない」と考え、人間のサイボーグ化を提唱している。「ゾロモンの宝石」(一九六七)に、ロボットを憎み、ロボットに対抗するため、サイボーグ手術を受けようとする金山光と同時に、人間になることを希望し、人間化手術を待っているL44号も登場する。「人工太陽球」(一九五九−六〇)の中で、脳以外すべてを人工身体に変えられ、ロボットを嫌うシャーロック・ホームスパンという探偵が表われる。彼は脳を人工知能に変えられた後、ロボットとロボットである自分自身を受け入れる。また、「メラニン一族」(一九六六)では、カザータ星ではロボットと生物との間で戦争が起こり、ロボットが勝利し、生物が滅ぼされ、その革命を地球に輸出するために、スパークというロボットが派遣されている。アメリカのフランダイス大学のジョーダン・ポラックは、初歩的なレベルであるが、コンピューターに自力で、ロボットを開発させることに成功している。ロボットが生命体化しつつある。手塚は、「ロボイド」(一九六五)の中で、ある惑星では有機体が滅亡し、自己増殖していくロボット、「ロボイド」を登場させている。ロボット脅威論は、「ロボット」という言葉の生みの親チェコの作家カレル・チャペックが書いた『RUR──ロッサムの万能ロボット』にすでに見られるが──この作品のロボットは機械仕掛けではなく、原形質(プロトプラズム)で作られた合成物──、手塚はさらに広い枠組みを提出している。

脅威論とは反対に、AIBOが示した通り、アニマル・セラピーと並んで、ロボット・セラピーも求められる時代が到来しつつある。ロボットに関する最も古い記述であるホメロスの『イリアス』でも、ロボットの役割は介助である。この中で、足が悪い鍛冶の神ヘパイストスが多くのオートマトンというロボットに作業を手伝わせ、複数のオートマタという黄金の少女ロボットに身の回りの世話をさせている。アトムも、「アトム今昔物語」(一九六七−六九)では、飛雄の母にとって、ロボット・セラピーとして機能している。最初は拒絶していたけれども、次第に癒されていき、彼女はアトムをロボット・サーカスに売り飛ばすことに反対している。また、 ロボット自身にもロボット・セラピーが必要である。「アトムの両親」(一九五〇)において、孤独感に陥っているアトムを見かねたお茶の水博士はロボットの両親をつくり、一緒に郊外の家で暮らさせている。

ロボット・セラピーをより進めたのが藤子・F・不二雄こと藤本弘である。マンガが子供の読者から離れていく一九六九年、『ドラえもん』は、置いていかれた子供たちを読者として、登場した。藤本は、それ以前にも、子供向けのマンガを描いていたが、時代が変わってしまったことに、危惧を覚えていた。マンガが子供の読むものではなくなりつつある中、藤本は、子供向けに徹して、マンガを描き始める。シカゴの小学校に転校してきた日本人が寂しそうにしているのを見たデイヴ・スペクター少年は、オバQの絵を描き、その子を驚かせて、友達になろうと思った。マンガは子供の楽しさそのものであり、子供のコミュニケーションの道具であることをマンガ家は忘れていると藤本は思わずにはいられなかった。藤本よりも、先にそれに気がついていたのは、実は、川崎のぼるである。『ドラえもん』は『いなかっぺ大将』の意義を受け継いでいる。未来からやってきたドラえもんは葛藤・摩擦もなく、のび太の家庭や現代社会にとけこむ。藤本のマンガにおいて、ロボットだけでなく、宇宙人も、お化けも、人々にすんなりとなじむ。すべてはペットなのだ。ドラえもんは丸で構成され、正面を向いていることが多く、安定感と安心感がある。「小さい子へのマンガなら、人間でも動物でも鳥でも、みんな丸から描き始めるのがよい」。「幼い子どもは、つねに、画面の主人公と対面して、お話をしている感じを好むのかもしれない。だから、どんな不自然なポーズでもいいから顔は正面向きにしてほしい」。「子どもに見せる絵は、気持ちをなごやかに、心をあたたかくするものであるべきだ」(『マンガの描き方』)

藤本の線は、『エスパー魔美』(一九七七)などで、美少女の裸体を描くとき、特徴が顕在化する。藤本の線には、のび太の部屋がいつも整理整頓されているように、清潔感がある。ベタが非常に少なく、登場人物の肌は、ゆで卵のように、つるつるとしている。V・ナボコフの『ロリータ』を読めばわかる通り、藤本の思いはロリータ・コンプレックスとは異質である。ロリータ・コンプレックスは、むしろ、清潔感を嫌う。一方、『魔太郎がくる!!(一九七二)にしろ『シャドウ商会変奇郎』(一九七六)にしろ、藤子不二雄Aこと安孫子素雄は、比較的太い線、奥行きがなく、ベタの多い絵を描き、恨みや悪意を感じさせる。”I wanna see it painted black”(The Rolling Stones ”Paint It Black”).藤本の作品には意地悪はいても、悪人はいない。子供の世界には善悪の彼岸だけがある。藤本の美少女の線には触覚はなく、あくまで視覚にとどまっている。それは静かに呼吸を落ち着かせ、腕から無駄な力を抜かないと描けない。藤本の描く美少女はバストもヒップも小さく、曲線が少ない。手塚とはまったく正反対である。手塚の「女性の描き方」は、『マンガの描き方』によると、妻手塚悦子はどう思うかわからないが、いかにすれば色っぽく見えるかに集中している。「色っぽい」というと、文化放送で交通情報を担当する沢田夕佳の声が思い起こされるけれども、「オクレ毛は色っぽさを増す」や「下にマツゲを描くとツヤっぽく見える」、「口の線を太くすると、口紅の感じが出る」、さらに、バストとヒップは「どんなに大きく描いてもよい」が、「足はできるだけ小さく」、「首はなるべく長く」とくる。われわれはこれに「あごの形がきれい」と「肩幅が広く」、「足は大きい方がいいし、できれば背が高いほうがいい」を付け加えたい。

日本においてロボットは、やはり、ドラえもんではない。アトムを意味する。ホンダの広瀬真人は、一九八七年、上司から「鉄腕アトムを作れ」という命令が出され、二〇〇〇年、本格的な人型ロボット「ASIMO」の開発に成功した。今日さまざまなロボットが製作されているが、究極の目標としてアトムの開発がある。アトムをつくった天馬博士はヒノエウマ、すなわち一九六六年の生まれであるから、『鉄腕アトム』をリアルタイムで体験していないが、その存在は知っていただろう。不思議なパラドックスが起きている。アトムが誕生するのは二〇〇三年四月七日であり、この日は、一九〇四年六月十六日がダブリンで「レオポルド・ブルームの日」であるように、「アトムの日」と呼ばれるに違いない。

ロボット開発の際、キリスト教神学を背景にして、ローマ=カトリック教会は人間型ロボット開発を非難する。ただ、キリスト教以前のローマ時代、アポロニオスは、アルゴ探検隊の物語で、神の神殿を防衛する青銅の巨人ロボットであるタロスを描いている。このロボットは体内に溶岩のような物質が詰められており、その力で機械が動く設定になっている。手塚は、「十字架島」(一九五八)において示している通り、タイプによっては、場面に応じて、変身する機能を持ったロボットをも考えている。ただ、人間型ロボット開発の推進の原動力には「鉄腕アトム」があることは確かである。手塚はその場合の解答も用意している。『鉄腕アトム』は「光と影の際だった対照、断続性、表現されないものを暗示する力、背景を供えた特性、意味の多様さと解釈の必要、世界史的な要求、歴史の展開に関する概念の形成、問題性への深化」(E・アウエルバッハ『ミメーシス』)を備え、旧約聖書的である。手塚は、キリスト教神学に対して、積極的な転倒を行っている。ロボット法に「ロボットは作った人間を父と呼ばなくてはならない」という条文がある。これはキリスト教神学を思わせる。ロボットは、そのため、つねに父殺しと直面せざるをえないが、手塚はそもそも人間が違法に生まれてきたと主張する。「一億年まえの犯罪」(一九六七)において、人類の誕生が宇宙人による気まぐれな猿の改造から起こったと設定している。これは宇宙法の違反という犯罪にあたる。超能力を持った四人の少年犯罪者の破壊行為に、一億年後に地球を訪れた宇宙の犯罪者は愕然とする。原罪は人間にあるのではなく、それをつくった側にあると転倒されている。あるいは、宇宙法をゼウスと考えるとすると、宇宙人はプロメテウスとなり、ニーチェ的なユダヤ=キリスト教批判である。しかし、この宇宙人はプロメテウスと違い、姑息である。姑息な宇宙人によって生まれた人間はあまりに創造主に似ている。手塚はニーチェ的でありながらも、二十世紀の人間としてそれをさらに読み替える。われわれはニヒリズムにさえ置かれていないのだ。犯罪者は人類の抹殺という証拠隠滅を実行しようとするが、アトムの助けを借りた四人の犯罪少年によって阻止され、失敗し、液体に変身した宇宙人は牛に飲まれてしまい、その娘は星に帰ることを諦め、海に暮らす。

この宇宙人たちは液体に変身することができる。こうした性質を持つ宇宙人が人間の生命を翻弄するという話は手塚の生命感と深くつながり、キリスト教神学とニーチェの転倒を秘めている。

手塚は、『対談 ヒゲオヤジ氏の生と性』の中で、次のような夢を述懐している。

 

僕は宝塚に住んでいたんですが、学校の帰り道にちょっと淋しい沼があって、そこを通って家に帰るんです。小学校とか中学校のころそこを通る夢をよく見ました。沼地の横で得体の知れないものがブルブルふるえながらぼくを待っている。それをつかまえて自分の家へ連れてくる。逃げ出すと困るから雨戸を閉めて、ふすまを閉めて絶対に出られないようにして、ぼくと物体が向いあったところでたいてい夢がさめてしまう。()

女にもなるし、男にもなるし、化け物にもなる。()

常に動いている楽しさみたいなものがある。動いているのが生きているのだという実感があるわけです。()で自分はどうかというと常にパッシブでそれを見て感じるとか受け入れるとかいう形で、それを見ているだけなんですが、相手は何かの形で次々に流動しているんです。

 

生命体は体内のほとんどが液体によって構成されているが、液体は非線形・複雑系であり、解析しにくい。固体は非常に狭い範囲でわずかに振動する程度なので解析するのはたやすいし、気体の場合は、ニュートン力学に統計力学を加えれば、可能である。液体はつかみどころがない。「自由のイメージは、自分勝手に一人で飛んでいける気体かもしれない。時々他の分子にぶつかったりするが、基本はやはり一人で飛んでいくほうだ。ところが、ぼくの中の自由のイメージは液体なのだ。時代とか社会とかがっちりした構造の間を、現実という液体が流れていく。液体というのは面白いもので、必ず隣に分子がいる。気体と違って、自分一人ではない。しかもそれが常に入れ替わる。隣は必ずいるが、いつも同じ相手ではない。そんな中で岩にぶつかって渦ができたり、滝として流れ落ちたり、結構いろんなドラマが生まれる。それが〈液体の自由〉のイメージだ」(森毅『「自由人」は液体のように』)。キリスト教神学は「固体」であり、ニーチェはvogelfrei、すなわち「気体の自由」を提唱したが、手塚は「液体の自由」を唱える。手塚にとって、生命の誕生、あるいは人間の誕生はこの「液体の自由」の結果である。手塚はキリスト教と同時にニーチェも転倒している。

旧約聖書はユダヤ教においてתורה(律法)と呼ばれているが、手塚は歴史と法を書き記す。ロボットを描く際に、歴史と法律を設定するというのは、マンガ家では、手塚以外いない。この歴史と法への意識のために、手塚はマンガの文法を整理できたのであり、晩年に至るまで、壮大な長編マンガを描けたのである。

 手塚は、「アトム誕生」(一九七五)において、ロボットの開発史を次のように記している。

 

一九七四 原子力による超小型電子計算機の発明

一九七八 アパッチ出身のC・ワークッチャア博士が最初の電子脳を開発

一九八二 日本の猿間根博士がそれを改良して、初めて人間型ロボットに搭載。

同じ頃、ジェームズ・ダルトンがプラスティックから人造皮膚を発明

一九八七 試行錯誤の末、人並みのロボット開発

その後、各国ともロボット技術を隠すようになり、輸出規制が強化。

二〇〇三 日本では、科学省を通じてロボットを年間5000体を生産

 

 また、ロボット法には、「青騎士」(一九六五−六六)によると、次のような条文がある。

 

ロボットは人間をしあわせにするために生まれたものである。

ロボットは人をきずつけたり、殺したりできない。

ロボットは作った人間を父と呼ばなくてはならない。

ロボットは何でも作れるが、お金だけは作ってはいけない。

ロボットは海外へ無断で出かけてはならない。

男のロボット、女のロボットはたがいに入れかわってはいけない。

無断で自分の顔をかえたり別のロボットになったりしてはいけない。

おとなに作られたロボットが子どもになったりしてはいけない。

人間が分解したロボットを別のロボットが組み立ててはならない。

ロボットは人間の家や道具を壊してはいけない。

 

 ロボット法は、「アトム今昔物語」によると、次のような経緯で成立する。ケープ・アストロイドから打ち上げられたロケットのフォボスツールは、ウィルス大の小さな宇宙人に接触し、乗組員が宇宙人に寄生される。ロケットは太平洋上の無人島に着陸し、コルネット少佐は亡くなったが、リーマス大佐は姿が変わったものの、生き残り、宇宙人とこの島で共生することを決意する。合衆国政府は極秘にアトムを派遣し、島を調査させる。島から一切出ない代わりに地球で暮らさせて欲しいと大佐はアトムを通じて申し出るが、政府は断り、島を核攻撃する。アトムの力で寸前のところで、大佐と宇宙人は助かる。宇宙をさまようことにした大佐と宇宙人は、そのお礼に、各国政府に圧力をかけ、ロボットが人間と対等の権利を有することを認めさせる。アトムは、このロボット法の施行に基づき、サーカスから解放され、お茶の水博士の下に引きとられる。

 

Domo arigato, Mr. Roboto,
Mata ah-oo hima de
Domo arigato, Mr. Roboto,
Himitsu wo shiri tai

You're wondering who I am-machine or mannequin
With parts made in Japan, I am the modren man

I've got a secret I've been hiding under my skin
My heart is human, my blood is boiling, my brain I.B.M.
So if you see me acting strangely, don't be surprised
I'm just a man who needed someone, and somewhere to hide
To keep me alive-just keep me alive
Somewhere to hide to keep me alive

I'm not a robot without emotions-I'm not what you see
I've come to help you with your problems, so we can be free
I'm not a hero, I'm not a saviour, forget what you know
I'm just a man whose circumstances went beyond his control
Beyond my control-we all need control
I need control-we all need control

I am the modren man, who hides behind a mask
So no one else can see my true identity

Domo arigato, Mr. Roboto, domo...domo
Domo arigato, Mr. Roboto, domo...domo
Domo arigato, Mr. Roboto, domo...domo
Thank you very much, Mr. Roboto
For doing the jobs that nobody wants to
And thank you very much, Mr. Roboto
For helping me escape just when I needed to
Thank you-thank you, thank you
I want to thank you, please, thank you

The problem's plain to see: too much technology
Machines to save our lives. Machines dehumanize.

The time has come at last
To throw away this mask
So everyone can see
My true identity...
I'm Kilroy! Kilroy! Kilroy! Kilroy!

(StyxMr. Roboto”)

 

 ロボット法の成立過程は、多種多用な比喩として、読むことができる。神による律法の伝達とも、あるいはGHQによる占領政策とも、政府が市場を抑えつけようとした結果、逆に、市場から鉄槌を食らわされた寓話とも読めるだろう。いずれにしても、共生という視点を無視することはできない。つまり、手塚にとって、法は共生のための契約であり、ユダヤ教的な律法の概念が変更されているのである。

サーカスの団長の病室の戸棚で、アトムが「奇妙な果実」として描かれているように、この作品では、ロボットはアフロ・アメリカンの比喩である。 「アトム」という名前は、売り飛ばされたサーカスで、つけられている。合衆国においては、ロボット法成立以前でも、ロボットが市民権を取ることはできた。市民権を取得したロボットのベイリーは、人間によって、虐殺されるが、彼らが罪にとわれることはなかった。ロボットに公民権がないためだった。これは、ロボット解放史において、「ベイリーの悲劇」と呼ばれている。

アトムはベイリーの悲劇に立ち会っている。天馬博士は、アトムをつくる際、予算が下りなかったため、須井柄という裕福な日系アメリカ人から、一日だけアトムを貸すことを条件に、資金提供を受ける。須井柄はロボット解放運動の活動家であり、頭部以外をすべて機械に交換していた。彼はアトムをベイリーのボディー・ガードにしようとしたのだが、アトムは守りきれなかった。須井柄はロボットの権利を保障する法律の必要性を実感する。彼がロボット解放運動に向ったのは、ヘレンという女性ロボットを愛したからだった。愛し合っているのに、二人の結婚を教会も受けつけてくれなかった。先の宇宙人の圧力をきっかけにして実現したロボット解放宣言が発表された直後、須井柄はヘレンと結婚するために自動車で教会に向う途中、爆弾テロにあい、ヘレンとともに、命を落とす。

 手塚の認識は、『鉄腕アトム』では顕著であるが、概して、アメリカ的である。『キャプテンKen(一九六〇)では、火星人をネイティヴ・アメリカンに見立てて描いている。『鉄腕アトム』のロボットたちはデモを行い、裁判や議会を通じて、権利を守り、獲得する。これはアメリカでよく見られる光景である。アメリカでは、すべてが政治的・経済的問題となる。実際、ロボット法はロボットの権利を保障するだけでなく、数多くの制限を明記している。「マッド・マシーン」(一九五八)の中で、初のロボット代議士コルトがすべてのロボットを休めさせなければならない「機械の日」を制定している。ロボットであることは政治的・経済的であるのだ。そもそも「ロボット(robot)」の語源は、チェコ語で「労働」を意味する”robota”に由来する。労働が政治的・経済的問題であるとすれば、ロボットもそうならざるをえない。

手塚の政治・経済に対する意識はいたるところに表われている。手塚は、一九五三年、ドストエフスキーの Преступление и Наказаниеをマンガ化しているが、数あるドストエフスキー作品の中で、『カラマーゾフの兄弟』でも『悪霊』でもなく、青木雄二と同様、『罪と罰』を選んでいるのには理由がある。『罪と罰』は、ドストエフスキーにおいて、政治・経済とルサンチマンの関係を最も描いている作品だからである。

こうした手塚の問題意識は、石ノ森章太郎と比較すると、より明瞭になる。石ノ森も、手塚と同様、無許可で、『ロボット刑事』(一九七三)をモチーフにした『ロボコップ』(一九八七)という映画が製作されたという栄誉を受けている。マンガの神様がロボットを主人公に選んだとすれば、マンガの王様はサイボーグを選択した。石ノ森のサイボーグたちは、手塚のロボットにもその傾向はあったが、多国籍軍である。今のように、多様性が強調される以前から、スライ&ファミリー・ストーンと同様に、石ノ森はそれを語っていた。『秘密戦隊ゴレンジャー』(一九七五)に起源を持つ『パワーレンジャー』がアメリカでTV放映され、好評を得ているのは、根底に多国籍性があるからだ。『サイボーグ009(一九六四)のサイボーグたちはエスタブリシュメントからはほど遠い。マッド・サイエンティストの赤ん坊(旧ソ連)やストリート・ギャング(アメリカ)、おてんば娘(フランス)、密入国の幇助者(ドイツ)、ネイティヴ・アメリカン(アメリカ)、極貧の農民(中国)、アル中の落ちぶれた役者(イギリス)、人身売買される若いアフリカ人(ケニア)、混血の未成年の受刑者(日本)である。彼らは差別され、社会的には報われていない存在である。だが、彼らが戦いを挑むのは、社会ではなく、自分たちを改造した組織である。もっとも登場人物は外国人を装っているが、さまざまな点で、日本人にしか見えない。石ノ森のサイボーグは、『サイボーグ009』に限らず、差別を恐れ、正体を隠す。変身は忌避すべき行為である。サイボーグだけではない。『ミュータント・サブ』(一九六一)のミュータントも『番長惑星』(一九七五)のパラレル・ワールドへのスリッパーも、正体を隠し、社会と同化しようとする。石ノ森は、社会との同化という視点を意識して、持っていた。そのため、ハワイでは、彼の『人造人間キカイダー』と『人造人間キカイダー01』が州民にとってのシンボルとなり、四月十一日が「ジェネレーション・キカイダーの日」という記念日になっている。キカイダーはスーパーマンやバットマン、スパイダーマンのハリウッドに対抗するハワイのアイデンティティであり、「日本人よりもキカイダーを理解している」と自負するハワイのファンも少なくない。逆に、石ノ森のギャグ・マンガでは、ロボットも、エスパーも、未来人も、宇宙人も、正体を隠さない。ギャグ・マンガは、喜劇であるため、その社会への同調を前提にしているからである。石ノ森の同化はエントロピーを思い起こさせる。石ノ森の主人公たちは、不可逆的な存在である自分自身に負い目を感じる。『人造人間キカイダー』(一九七二)のアンドロイドは、ハーメルンの笛吹き男の伝説のように、笛によって狂うにもかかわらず、ギターを背負っている。石ノ森において、音楽に象徴される狂気と救済が負い目である。負い目のために、石ノ森のサイボーグたちがカミング・アウトせず、正体を隠すという認識は日本的であろう。サイボーグは日本における差別の比喩である。石ノ森は、日本人の行っている差別が審美的・心理的なものであることを明らかにしている。開発史を一切書かないように、石ノ森のサイボーグは審美的・心理的存在である。手塚に依頼されて、デビュー前の石ノ森が「電光人間」(一九五五)を手伝っているのは、結果として、後に顕在化する両者の方向性の違いを暗示することになる。電光人間は審美的ロボットであり、アトムのような倫理性を持っていない。審美的存在は、オスカー・ワイルドがそうであったように、暗さを持っている。美は、醜という対比があって、相対的に輝くからだ。

石ノ森のサイボーグ概念は、現在では、いささか古びている。サイボーグという概念は、一九六〇年、マンフレッド・クラインズがネズミの身体にメタボライザと呼ぶ器官を取り付け、新陳代謝を高める実験に起源を持っている。サイボーグは、ダナ・ハラウェイにとって、重要な概念である。彼女は、一九八五年、『サイボーグ宣言』を発表している。サイボーグは有機体の一部を機械に代替した存在と捉えられてきたが、彼女によると、有機体と機械からなる混成主体であり、人工的な環境の中で機械と共生している現代そして未来の人間お姿である。「私たちはすでにみなサイボーグである」。サイボーグはSFのヒーローではもはやない。機械を敵視したところで、機械なしの生活はありえないとすれば、機械との共存を極限化して考えなければならないだろう。ハイテクが生み出すサイボーグは、男性=女性や主体=客体、人間=動物、自然=人工といった西洋的二元論を横断し、サイボーグ化されたフェミニズムが、男性中心主義の虚構性を顕在化させ、それを転倒する。

 ハナウェイは、『サイボーグ・フェミニズム』において、サイボーグ政治学について次のように述べている。

 

 サイボーグとは、二〇世紀後半という文章ファイルと考えてよい。サイボーグ政治学は、言語を求める闘争であるとともに、完全なコミュニケーションに対し──あらゆる意味を一気に翻訳してしまうような唯一のコード、すなわち男根ロゴス中心主義の主要なドグマに対し──立ち向かう闘争といえる。ここにこそ、サイボーグ政治学が雑音を推奨し汚染を賞揚しながら、動物と機械の密通を満喫していたゆえんがある。これらの融合によって、男性やら女性やらといったカテゴリーは疑わしいものとなり、欲望の構造、すなわち言語と性差を発生させるよう仕組まれた効果は粉砕され、加うるに、西欧的主体に関するさまざまな再生産構造・様式についても解体が迫られるのだ。

 

 ハナウェイによれば、現代のサイボーグの典型は、日米のエレクトロニクス企業で働く東南アジアの女性労働者である。彼女たちは、自らの肉体において、既成のテクストを解体し、新たな読み替えのゲームに挑戦している。

さらに、現代のアスリートたちは、男女問わず、サイボーグやアンドロイドに憧れを抱く。負い目などに苦しめられず、プログラミングされたマシーンと化すことを目指している。機械化された身体と機械化された思考を持つことは望ましいのだ。ボディ・ビルには自らをマシーンにしていく快感がある。身体の変化は認識の変化が伴う。身体のみの変化ではなく、知的レプリカントになる。その上で、性も機械化され、性的満足もマシーン化される。それはアスリートだけではない。整形手術を繰り返すマイケル・ジャクソンもマシーンである。

 戦後マンガは、確かに、手塚によって誕生したが、石ノ森の方向性に進んできた。手塚がマンガの文法に論理学を与えたとすると、石ノ森はその修辞学を確立した。石ノ森はジャンルを意識して、マンガを描いている。手塚が一度も描かなかった日常的な世界も、『あかんべぇ天使』(一九六三)などで描いているように、非常に器用なマンガ家だった。石ノ森は、手塚に比べて、線が弱く、構成力を持ちえなかった代わりに、コマに着目した。石ノ森のコマわりは審美的・心理的である。それは負い目を表象している。負い目はスクリーン・トーンの多用によってさらに強調される。そうした石ノ森のマンガ手法は『ジュン』(一九七一)に典型的に表現されている。これは映像を中心にした実験色の強い作品である。マンガを構成する線は空間を、コマは時間を意味する。手塚が提供したパースペクティヴによれば、線が空間だとすれば、コマは時間である。石ノ森はそれを転換した。コマも空間を表現できる。手塚は、後で言及するように、点としての自己を登場させ、コマわりをブラウン運動的に配置した。コマには可逆性があり、干渉・共存している。コギトの発見の後、カルテジアン座標が考案されたように、石ノ森は点の運動を分布として捉える方法を編み出した。自己が広がりを持ったとしても、それは心理の誕生であって、自意識ではない。自己に広がりが与えられると同時に、不可逆性を獲得した。夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いのか』において、石ノ森のコマ構成を「圧縮・開放」の特徴から分析している。石ノ森はコマを不可逆的な圧縮・開放にそって時間分節している。その圧縮・開放を方法に、ペーソス・ギャグの保守本流に対して、石ノ森は『赤ずきんちゃん』(一九六二)に見られるようなスラップ・スティックをマンガに導入したのである。

 少女マンガは、熱力学の図式を取り除き、石ノ森の審美性・心理性に基づいた方法を継承した。粒子の運動をさまざまな方法で捉えようとしたのだ。圧縮・開放という古典的図式は、夏目房之介によれば、「内包・重層・間白」に取って代わられた。少女マンガはリアリズムよりも、マンガの記号化を追及したのだ。それは審美的・心理的マニエリズムである。手塚の政治性・経済性は、戦後マンガ史において、異質だった。

他方、熱力学の図式は少年マンガに受け継がれていった。ただ、劇画はマンガ家自身にも圧縮・開放を強いることもあった。『巨人の星』(一九六六)の絵を担当した川崎のぼるは、音楽によって、ディオニュソス化し、「ドバッと丸裸」になる大ちゃんこと風大左エ門を主人公にした『いなかっぺ大将』(一九六七)を描いている。劇画の絵でギャグ・マンガを描いた最初の作品であろう。後に秋本治が『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(一九七五)がその路線を継承していく。

川崎のぼるは、『いなかっぺ大将』の中に日本各地の方言があふれていたように、世の中の流れに対して数多くの異議申し立てを行っているだけでなく、現代の状況を予測している。一九七五年、長野と新潟の県境の農村を舞台にした『どんぐり大将』を発表、一九七七年には、NFLに挑戦する日本の若者を主人公にした『フットボール鷹』を描いている。前者では、巨大ダム建設による環境・文化破壊が暗示されている。これは、二十五年後、田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」まで忘れられた問題になっていった。後者は、直接、世界のプロ・スポーツ界を目指す今の若者の登場を予感させている。

 手塚治虫をめぐる批評は膨大であり、また錯綜しているが、最も優れた批評を提示しているのは、すでに何度か触れている夏目房之介だろう。手塚が戦後マンガの文法を構築したとすれば、夏目房之介は戦後マンガの文法書を書いている。彼を映画『アンブレイカブル(Unbreakable)(二〇〇〇)の中でサミュエル・L・ジャクソン(Samuel L. Jackson)が演じたエライジャ・プライス(Elijah Price)と思ってはいけない。この「不肖の孫」は、マンガの分析の手法として、ミメーシスを使う。これは極めて正当である。手塚治虫のマンガがミメーシスを喚起して、戦後マンガは発展したのであり、なおかつ手塚自身もミメーシスを重要な衝動として認識している。「なぜ 人間はロボットをつくるのか なぜ人間は機械に人間のやる仕事をさせるのか そのわけはわかりません でも人間は大昔からじぶんたちににた代用の生きた人形をほしがっていました」(「アトム誕生」)。ロボットは人間のミメーシスへの意志が生み出したというわけだ。「むかし類似の法則によって統治されているように見えた生物圏は、広く包括的であった。小宇宙の中でも大宇宙の中と同じように類似が支配していたのだ。そして、自然が行うあの交信がその未来の重要さを獲得するのは、それらすべてが例外なく、内部にあってあの交信に応じる模倣能力に対して、刺激剤ないし喚起剤として作用するのだという認識が成立するときである」(W・ベンヤミン『模倣の能力について』)

 マンガの記号も、手塚によれば、ミメーシスから生まれる。手塚は、『マンガの描き方』の中で、オーバー・アクションなどマンガの記号が「たとえ」だと指摘している。マンガでは、「怒って髪が逆立った」のような「たとえ」を「そのまま絵に生かしてしまう」。言語表現自体もミメーシスであり、マンガの記号のいくつかはそのミメーシスである。

 手塚は、『マンガの描き方』において、マンガの記号化について次のように書いている。

 

 小さい子の絵には、まずものの形の「省略」がある。手の指一本一本までは決して描かない。しかし手なのだ。それから「誇張」もある。頭を福助のみたいに大きく描くのがそれだ。人間大の草花だって、そうである。三つ目に、「変形」もある。自分の描きやすいように、好き勝手に形をかえて描いている。しかも、それが人なら人、犬なら犬と、ちゃんときまっているのだ。

 「省略」「誇張」「変形」、この三つは、幼児画の特徴で…落書きの特徴で…そして、マンガの、すべての要素なのだ!

 

 マンガは現実の単純化ではなく、その記号も現実の「類推」であっても、再現ではない。マンガはコミュニケーションであり、マンガ家と読者の間で、記号のルールを確認させ、再構築する。マンガの流線は、磁力線や等圧線が実際には存在しないように、作用の記号である。手塚は客観ではなく、主観を重視し、共同主観を発見した。天馬博士の不幸はロボットを人間の再現と考えてしまったことだ。科学省長官天馬博士は、交通事故で死んだ一人息子飛雄にそっくりのロボットを最高の科学的技術力を結集してつくりあげる。 天馬博士はそのロボットを息子のように愛したが、やがて成長しないことに腹を立て、ロボット・サーカスに売り飛ばしてしまう。ロボットは飛雄の「類推」であって、再現ではない。手塚にとって、マンガという記号の体系は、パース同様、表象・対象・解釈項によって成り立っている。表象は対象と関係を持ち、対象は解釈項との関係をともなう。解釈項は、パースによれば、「適切な意味作用の効果」である。解釈項は、ある記号を認識した結果、受容した精神の中に生じる記号である。その記号はさらなる記号を生み出す。通常の行為には無限の記号過程がある。パースの記号論のカテゴリーを使うと、手塚作品の記号を非常にうまく分類できる。 解釈項によって手塚のマンガは記号の後継者を育め、また手塚自身にも変化を可能にしたのである。

 戦後マンガの始まり、すなわち「手塚治虫」の名が世の中に知られたのは、一九四六年に出版された『新宝島』の成功のおかげである。これは戦中に『海の少勇士』をつくった酒井七馬が構成をして、手塚が描いたわけだが、ここには戦後マンガの記号化に関する重要な転換が表現されている。

 安孫子素雄は、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』において、『新宝島』ショックを次のように書いている。

 

 僕は、ギャーン!!と唸るようなマシーンの轟音を確かに聞き、スポーツカーのまきおこす砂煙に確かにむせんだのだ。

 こんな漫画見たことない。二ページただ車が走っているだけ。それなのに何故こんなに興奮させられるのだろう。()

まるで映画を見ているみたい!!

 

 よく指摘されるように、『新宝島』よりも、宍戸左行の『スピード太郎』(一九三〇−三三)や作旭太郎(小熊秀雄)・画大城のぼるによる『火星探検』(一九四〇)の方が、コマの使い方にしろ、絵にしろ、革新的である。『新宝島』の出来の悪さは手塚自身が認めている。にもかかわらず、『新宝島』に、安孫子を含めて、当時の読者は引きこまれていったのである。

『新宝島』では、効果的にクローズ・アップが使われている。クローズ・アップは役者の抱いている感情を瞬時に観客に伝えるために、DW・グリフィスが導入した映画の方法である。グリフィスは、そのほかにも、クロス・カッティングやフェイドイン、フェイドアウト、カットバック、ラスト・ミニッツ・レスキューなど感情移入を可能にする方法を考案することで、『国民の創出』(一九一五)を筆頭にした壮大な物語をつくることができた。グリフィス以前に、ES・ポーターが『アメリカの消防夫の生活』(一九〇二)、『大列車強盗』(一九〇三)、『レアビット狂の夢』(一九〇六など非常に斬新的かつ革新的な短編映画を撮っている。これらにはスピード感やファンタジックな要素もあるが、出来事の推移だけで構成されているため、十分程度ならともかく、長時間、観客が引きこまれるほどのものではない。手塚が採用している方法はグリフィスに由来するものが多い。

マンガの場合、映画と違い、あくまで絵であるので、アップになった表情がうまく感情を伝えるようになっていなければならない。感情を表わす記号を考案する必要があるのだ。「目の表情と口の表情で、だいたいその人物の感情の大きさが出せる」。「漫画の人物が生き生きとするか、死ぬかはこの表情で決まる」。「ひと目見て、なんだか知らないが平凡で退屈だなと思う漫画の絵は、たいがい人物の表情のゆたかさに欠けている」(『マンガの描き方』)。従来の作品はいかに斬新であっても、表情の豊かさに乏しい。これでは感情移入はできないし、物語も複雑にできない。感情の記号化ができれば、無限級数的な感情が可能になり、無限の登場人物を出せる。そうなれば、マンガでもトルストイの『戦争と平和』のような壮大な物語が構成できるはずだ。手塚はディズニーの影響を受けている。ディズニーは、表情がわかりやすくなるように、ミッキー・マウスに白目を入れている。これで観客はミッキーに親近感を覚えた。二十世紀に起こったメディア爆発のために、「いかに伝えるか」がこれまでにないほど問われることになり、記号論が発展した。パースの記号論は、ソシュールの記号学と違い、人間の言語以外にも適用できる。自然的記号と規約的記号のどちらも含むパースの流れを受けたアメリカの記号論はありとあらゆる種類の記号の相互作用を検討する。ディズニー・アニメもこの記号論に基づいている。手塚は、デビュー作『マアチャンの日記帳』(一九四六)で、ディズニーゆずりの表情の記号化を行っているが、アップを使っていない。「ぼくは、従来の漫画の形式に限界を感じていて、ことに構図の上に大きな不満を持っていた。構図の可能性をもっとひろげれば、物語性も強められ、情緒も出るだろうにとまえまえから考えていた。()また、オチがついて笑わせるだけが漫画の能ではないと思い、泣きや悲しみ、怒りや憎しみのテーマを使い、ラストは必ずしもハッピイ・エンドでない物語をつくった」(『ぼくはマンガ家』)。従来の漫画は背景や構図を感情移入という観点からなされていなかった。手塚は、『マンガの描き方』の中で、「映画というものは、お客が、自分が物語の主人公になったような錯覚を起こすほど、グイグイと見ている方を画面にひきずりこんでいく」と書いている。手塚がマンガに映画の手法を持ちこんだというのはこの点である。手塚は、表情の記号化によって、感情移入を可能にしたのだ。

手塚マンガの登場人物の表情は、現在から見ると、いささか大袈裟に映る。それはトーキー登場以前のサイレント映画の演技である(『ジャングル大帝』に見られる学童社版から講談社手塚治虫漫画全集版への書き換えはサイレントからトーキーへのリメークである)。手塚治虫は、初期のSF作品が示している通り、フリッツ・ラングなどサイレント映画からも強い影響を受けている。ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り(Sunset Boulevard)』を見ると、グロリア・スワンソンとウィリアム・ホールデンの演技によってサイレントとトーキーの野演の違いがよくわかる。”Still wonderful, isn't it? And no dialogue. We didn't need dialogue. We had faces. There just aren't any faces like that anymore. Maybe one. Garbo. Oh, those idiot producers! Those imbeciles! Haven't they got any eyes? Have they forgotten what a star looks like? I'll show them! I'll be up there again! So help me!”

環境移入した読者は走る自動車を見ているのではなく、自動車を運転している。その外で乗り物を見ているのとそれに乗っているのとではスピード感に差がある。後者ははるかにスリリングなのだ。

手塚による表情の記号化は、マンガにおけるコギトの発見である。手塚は自己を誕生させたのだ。『鉄腕アトム』の「悪魔のハチ」(一九六三)において、モンゴルのゴビ砂漠の地下にある超ジンギスカン帝国の皇帝が人工ハチに支配されているとき、黒目がなく、白目だけが描かれている。眼はコギトを意味する。独裁者を狂気として描く手法は、名誉欲や貪欲など欲望を狂気として描いたウァロの『エウメニデス』を思い起こす。手塚のコギトはまだ広がりのない点だった。この点は自転しながら、物語の中を波の運動をしている。それはブラウン運動である。物語の時間性も、同様に、波の運動をする。この点としてのコギトという性質は手塚だけが持ち続け、手塚の作品を現代的にしている。粒子の動きは、次第に、より速く自由になっていった。亡くなるまで、未完に終わった『ネオ・ファウスト』(一九八八−八九)に見られるように、物語における時間性をよりブラウン運動化させた。

 表現論的解答だけでなく、手塚の表情の記号化が受け入れられたのは時代の変化に理由が求められる。戦前は、のらくろが無表情に近くても、読者は楽しんでいた。『のらくろ』(一九三一−四一)の人気は、小林秀雄の『漫画』によると、軍部の検閲すら許さないものだった。戦争が終わったという開放感の中、表情も開放された。そんな中、戦前から切り離された新たなものを人々は求めていた。戦前まったく無名だった大下弘は、彗星のごとく登場し、ホームランという新たな規範を提供した。「一九四六年、わが国のホームラン王は東急((ママ))セネタースの大下弘であった。セネタース自体が、この年発足したばかりの新球団だったので、新しいものに『期待』していたファンの喜びは大きかった。大下は打率は〇・二八二で二十位にも入らなかった。しかし、敗戦で何もかも灰燼に帰してしまったファンは、人生だけでなく野球に於いても『一挙挽回』を望んでおり、打撃王のタイガースの金田正泰などの数十倍の拍手を新人のホームラン王の大下に送ったのである」(寺山修司『誰か故郷を想はざる』)。手塚はちょうどこの大下弘のような存在だった。戦前にすでにもっと革新的な手法が用いられていたとしても、時代が要求していなければ、受容されない。手塚は、『新宝島』によって、新しい時代を開拓し、その新たなマンガの後継者を生み出した。『スピード太郎』は歴史の中で孤立している。いかなる作品も時代に限定される。手塚は極めてマンガの歴史を意識し、技術を筋の展開や効果として用いた。技術が先にあるのではなく、技術が作品にとって必然的に求める。ある技術が重要視しされない時代で、いくらやって見せても無駄なのだ。せいぜい奇抜な作品と見なされるだけである。歴史的価値はある作品がその時代の要請に応えた技術の革新性があり、後継者を続かせる転換点になったかどうかにある。

 戦後の開放感は、手塚において、モッブ・シーンが最も体現している。手塚のモッブ・シーンは開放された自己のチンダル現象を描いている。コロイド粒子は不規則なブラウン運動をする。コロイド粒子に光をあてると、その光を散乱させる。ブラウン運動が、静電気による不規則運動であるため、気体・液体の流体としての状態に左右されるように、敗戦直後と一九七〇年代では、時代の雰囲気が違う以上、描かれている雰囲気も変わる。開放感のもたらすカオスが記号化の凝縮されたモッブ・シーンを可能にした。こうした敗戦直後のカオスは、手塚に限らず、規範的な芸術家を生み出した。黒沢明もその一人である。この頃の黒沢の映画は日本的な伝統から逸脱している。『羅生門』(一九五〇)は無国籍的な映画である。手塚の作品同様、表情が大袈裟な登場人物には出自のあいまいさがある。『羅生門』の三船敏郎は『火の鳥』の「鳳凰編」(一九六九−七〇)の我王に表情が似ているし、京マチ子の嘆く姿は『ブラック・ジャック』の「白葉さま」(一九七四)の女祈祷師白葉さま(もともとは『リボンの騎士』のヘル夫人)を思い起こさせる。『羅生門』のカメラは近く、アングルはパラレルであり、ゴチャゴチャとしている。複雑系であるカオスには微分方程式が使えない。カオスは「液体の自由」を体現している。黒沢は、手塚も、カオスを現象として捉えることに成功している。ところが、日本が安定化していくのにつれて黒沢の映画はすっきりとしていき、やけっぱちのエネルギーや歓喜が消えていった。

手塚にとって、表現されたマンガはあらゆる器官の延長、コギトの外延である。コンピューターにおいて、動画も静止画も音声も信号、言語に置き換え、ファイル化できるように、手塚はあらゆる領域を記号化して、マンガに取りこんでいった。手塚は映画やアニメ、テレビ、演劇、写真、絵画、文学などさまざまなメディアの方法を吸収しているだけでなく、ほかのマンガ家、それも自分より若いマンガ家の作風も貪欲に取り入れている。自分のスタイルを崩してまでも、それを取り入れ続けた。手塚はマンガをハイパー・メディア化しようとしていた。マンガはキネティック・アート=オプティカル・アートであり、イントナルモーリ=音響彫刻でもある。医学を学んだ手塚は視覚が不確実性・多様性を持っていることを知っていた。マンガは「感応する眼」(ウィリアム・G・サイツ)によって生み出される。また、音も記号化すれば、絵を見るだけで、音がすると感じられるようにできる。マンガは創造よりも、加工に近い。組み立てるよりも、操作する作業である。器官を捉え、それから脳を支配して身体へ向かい、ネットワークへと拡張する。手塚のコギトはこのようにしてマンガの巨大なネットワークを形成するのである。

記号かさえできれば、いかなる領域もマンガ化できる。手塚は、未完に終わった『ルードヴィヒ・B(一九八七−八九)の中で、バッハの平均律の画像的比喩を試みている。ダグラス・ホフスタッターが、『ゲーデル・エッシャー・バッハ』において、バッハのフーガをエッシャーのだまし絵と関連させて論じているが、音楽を視覚表現に変換する場合、絵画の記号性を利用する必要がある。モーツァルトのオペラは錯視図、ベートーベンの交響曲はネッカーの立方体を用いて表現できる。石ノ森は、『グレン・グールド』(一九七九)において、グールドによるバッハの『ゴルドベルグ変奏曲』のレコーディングをマンガにしている。しかし、手塚と違い、ほとんど記号を用いていないため、音楽を表現しているようには見えない。五線譜による記号化以上でなければ、マンガの表現とは言えない。また、水野英子は『ファイヤー』(一九六九)、竹宮恵子は『風と木の詩』(一九七六)、鴨川つばめは『マカロニほうれん荘』(一九七七)、江口寿司の『すすめ!!パイレーツ』(一九七七)において、それぞれ音楽を視覚表現に置き換え、MTVのビデオ・クリップを先取りしていた。

登場人物も、手塚にとって、記号である。手塚のマンガは「スター・システム」をとっている。これはバルザック流の人物の再登場ではない。「ぼくが読者に試みたサービスの一つに、スター・システムがある。ぼくは、芝居に凝っていたので、ぼくの作品に出てくる登場人物を、いっさい劇団員のように扱って、いろいろ違った役で多くの作品に登場させた。メイキャップもその都度かえさせ、善玉がたまに悪玉の役をやったり、いろいろ演技のクセなども考えた。()ぼくのスター・システムは、読者に登場人物への親しみを持たせる意味では、予期以上の効果があった」(『ぼくはマンガ家』)。これは、手塚以外、あまり採用していない。ヒゲオヤジやアセチレン・ランプ、ハム・エッグ、スカンク草井、ロック・ホーム、ケン一、佐々木小次郎、ジェームス・メイスン、リノ・ヴァンチュラ、金三角、手塚治虫自身など彼のマンガには欠かせない。最も「スター・システム」が使われているのは『ブラック・ジャック』である。この作品は「漫画家生活三十周年記念・手塚治虫ワンマン劇場」と題した短期連載という計画だった。当時、各出版社とも手塚は終わったという認識を強く抱いており、実は、『週刊少年チャンピオン』の編集長だった壁村耐三が手塚治虫のマンガ家生活のフィナーレを飾らせたいという思いで立てられた企画だった。マンガ家自身が出版業界でそうであるように、登場人物も記号化され、使われるのを待っているファイルである。

夏目房之介は、著作の中で、日本マンガの表現史における手塚治虫を考察する際に、手塚の作品を白土三平や水木しげる、大友克洋と比較している。この選択は妥当であろう。絵・コマ・言葉がマンガの「思想」であるとすれば、それらがテーマを体現していなければならないと同時に、テーマに絵・コマ・言葉がにじみ出ていなければならない。マンガ家の思想はその二つの要素の相互作用である。大友に関しては後で詳しく言及するが、三者とも線およびコマとテーマがシンクロナイズドし、なおかつ手塚との継承点・転換点が明瞭なマンガ家だからである。

水木しげるにとって、線は点の集合体にすぎなかった。手塚が生み出した自己という点を線に拡大した。隙間だらけの点の集合を人間は線として見てしまうだけだ。水木しげるは油谷勝海の『土星の環』のような遠近画を目指していたのである。『どろろ』(一九六七)の百鬼丸には人間性回復の願望があるが、鬼太郎には人間性回復の願望などない。水木には、生よりも、むしろ、死のほうが確実な世界なのである。

Gペンを大胆に使う白土三平にとって、線は限りなく面に近くなければならなかった。いかなる登場人物も存在が意識を決定する状態から離れられない。白土は歴史を沈みゆく夕日のように描きたかったのである。ギラギラと照りつけるだけの正午の太陽よりも、夕日の太陽が大きく、鮮烈で、残酷に見えるからだ。

四方田犬彦は、『手塚治虫における聖痕の研究』において、手塚の健康志向を非難している。現代は、レーニン廟のように、神が死ぬに死ねない時代である以上、死に関する描写を見ると、そのマンガ家の認識がわかる。医師志望だった手塚にとって、死は政治的・経済的問題である。医学は、決して、自律していないし、また、そうであってはならない。死を認定できるのは、近代では、医者のみであり、殺人を正当化できるのは政治だけである。人の死は法律にのっとって処理される。医学的に問題がないとしても、法的に問題があれば、医師も責任を問われることになる。『ブラック・ジャック』で示されている通り、指一本なくすことでも、政治的・経済的事件である。手塚にとって、死も政治的・経済的に把握されるべきであって、生の外部ではない。手塚は社会的・歴史的背景を無視して、死を描かないのである。一般的に見られるマンガにおける暴力とエロティシズム志向は、ニヒリズム、すなわち神の死に依存している。だが、二十世紀はニヒリズムでさえない。決定不能性の世紀だ。白土が文化人類学的、水木が民俗学的、大友が分子生物学的に死を捉えていたのに対して、手塚はニーチェの永劫回帰を受けとめている。永劫回帰は死ねば終わりという認識さえ許さない。永劫回帰は十九世紀と二十世紀の要素が入り混じっている。手塚の永劫回帰の読み替えは『火の鳥』の「異形編」が端的に示している。『火の鳥』は、確かに、さまざまな問題が多い。手塚は劇画に、量子力学に対するアインシュタインを思い起こす態度で接し、『火の鳥』の執筆には統一場理論のような情熱が感じられる。一九八一年に発表された「異形編」はそうしたすべての欠点を肯定する。

「異形編」のプロットは次の通りである。七世紀末の日本、残忍な領主八儀家正の娘に生まれた左近介は、男として育てられてきた。ある嵐の夜、左近介は従者の可平とともに、自分と瓜二つの蓬莱寺の八百比丘尼という尼を殺しに出かける。重病の父が、どんな病でも癒すと評判の八百比丘尼に治療を頼んだからだった。父から男として生きることを強制されていた左近介は、父を憎み、父が死ななければ、自分は女に戻ることができないと考えていた。左近介は八百比丘尼を殺したが、その後、城に戻ろうとするが、不思議な力が働いて寺に戻されてしまう。どうしても寺を出られない。そうしているところへ村人が病気を癒してもらうために、やってくる。左近介は八百比丘尼に変装し、本尊の中の光る羽根を使って病人たちを癒す。実は、この寺は時の閉ざされた世界であり、八百比丘尼は、未来の左近介自身だった。やがて、寺には、戦で傷ついた妖怪や化け物たちが続々と治療に訪れるようになってくる。治し続ける八百比丘尼に左近介が生まれたという噂が耳に届き、いずれ殺されてしまうとおびえる。夢の中に火の鳥が現われ、対話をした後、毎日、治療を繰り返すうちに、その恐怖は消えていった。八百比丘尼は三十年後のその日すべてを受け入れ、左近介に殺される。

これを輪廻転生として読むことほど安易なものはない。輪廻転生の思想は永劫回帰に飲みこまれてしまったからだ。この作品はマンガが本質的に基づいているロマン主義的性質であるロマンスは円環構造を持っているが、その完璧なパロディを体現している。同時に、父殺しのパロディもある。三十年は、オルテガが『大衆の反逆』で指摘している通り、「一世代」を意味する。ほかにも、男性中心主義への批判や異形なるものたちとの共生など多種多様な問題が無尽蔵に読みこめる。「異形編」は戦後マンガが生み出した最高傑作の一つである。手塚の博士論文の重要な概念である「異形」をタイトルの一部としているこの作品で描かれているのは、一言で要約するなら、ポスト永劫回帰、すなわち永劫回帰の永劫回帰である。「もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての実存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちに事物のうちにも、何一つとしてないからである」(ニーチェ『権力への意志』)。

「火の鳥」という存在は死ぬに死ねない神に基づいている二十世紀の比喩として読まなければならない。「力とは、ケイスの世界では、企業力を意味する。すなわち、人類史の進路を形づくっている多国籍企業は、かつての障害を超越してしまっている。有機体として見るなら、一種の不死性を獲得しているのだ。主な経営陣を十人ばかり暗殺したところで、を殺すことはできない。別な連中が待ちかまえていて階梯を登り、空席を占め、企業の膨大なにするから」(ウィリアム・ギブソン『ニューロマンサー』)。ウォルト・ディズニーが亡くなった後でも、ディズニー映画もディズニー・ランドも続いている。天才的スナイパーを主人公にした『ゴルゴ13(一九六九)を連載しているさいとう・たかをは、ある意味で、これを最も理解している。日本におけるマンガ制作の場は家内制手工業、工房であるが、さいとう・プロは集団的匿名であって、完全に分業制をとり、絵でもアシスタントの個人差が出ないような線を選んでいる。

手塚が最も生き生きしていた時代、すなわち最もミメーシスの対象になったのは、一九五〇年代である。手塚は抜群の指の力と柔らかく強いリスト・ワークを使って、アトムを描いている。柔らかく強い線のアトムは、当時、「怪童」と呼ばれた中西太を彷彿させる。中西太が「史上最強の打者」と評されたように、この頃の手塚は「史上最強のマンガ家」と言っていいほど比類ない線を描けた。多くのマンガ家は右利きであり、ابを書く習慣がないため、下から上に曲線を引く際、線が硬く弱くなる。ところが、この頃の手塚の線はそうなっていない。右利きに比べて、左利きの場合、ペンを立てて持つ。そのため、左利き用のペンを使わないと、どうしてもタッチが右利きと左利きのマンガ家では異なってしまう。手塚の線が爪弾く世界はゾル、アトムはゲルとして見える。マンガは墨汁というゾルで描かれているが、それは疎水コロイドの炭素を安定させるために、保護コロイドのにかわを加えてある。マンガはコロイドと切り離せない。

六〇年代に入ると、手塚に代わって、石ノ森の線がマンガの主役に踊り出た。アトムはキセロゲル(乾燥ゲル)になってしまい、手塚は世界をエーロゾルとして描かなければならなくなった。石ノ森の線は、全盛時代であっても、手塚ほどの柔らかさと強さを持っていなかった。そうは言っても、石ノ森の線は悲しかった。美しい中に、影があった。それは赤塚不二夫が「インドのお姫様」と評した石ノ森の姉を思い起こさせる。美しく、エキゾティックで、気品があるが、若くして亡くなってしまった姉に対する負い目が石ノ森の線にはにじみ出ていた。石ノ森は線の弱さをコマによって補っていた。

その石ノ森の線も、七〇年代に入ってマンガがTV化されるようになってから、たるみ、コマも定型化し、サイケ調のオノマトペは消え、スクリーン・トーンの多用もやめている。『HOTEL(一九八四)や『マンガ日本経済入門』(一九八六)を描くとき、そのたるんだ線と定型化したコマ、妙に白い画面は、魅力はともかく、あっていた。ただ、石ノ森は時代に対する鋭い嗅覚を持っていた。TVが登場したばかりで、「業界」さえ成立していないのに、『テレビ小僧』(一九五九)や『CM野郎』(一九七〇)を発表している。石ノ森はこの嗅覚を使って、八〇年代以降、マンガを書き続けた。扱うフィールドは広がったものの、新しい方法論を石ノ森が提示することはなくなった。

手塚の描く百鬼丸やブラック・ジャックの暗さは負い目ではなく、エディプス・コンプレックスに起因している。これはアトムにも共通している。母親は自分を愛してくれたのに、父親は自分を捨てた。「いろいろな漫画がある中で、お父さんやお母さんが、子供に描いて見せるものほど、大切なものはない。子供は生まれてすぐには、言葉を話せない。覚えるものは目で見たことだ。子供というものは、つねに映像で育ってきたといってよい。また少し大きくなっても、お母さんの言葉を、頭の中の映像として思い浮かべるようになっている。そうした環境の中で、お母さんが子供のために漫画を描く、あるいはお母さんも漫画が描けると子供に思わせるのは、大きな影響を子供に与えるはずである。子供はお母さんのことを、心強く、また身近に感じることだろう」。「どんなにつたなくとも、ぎこちなくとも、お母さんがわが子に描いてやる絵には、限りない愛がある」(『マンガの描き方』)。手塚は、「ブラック・ルックス」(一九八七)では、ロボットが人間の母親となる事態を描き、ロボットだろうが、人間だろうが、子供にとって、母親は母親であり、大切なのは愛情だと訴えている。同時に、その中で、母親を人間だと信じ、ロボットに殺されたと思いこんだ少年がロボットの虐殺を繰り返す姿を表わすことで、愛情は、時として、憎悪さえ生み出してしまうとも付け加えている。手塚治虫の母は、手塚悦子の『手塚治虫の知られざる天才人生』によると、手塚悦子に「治は私のかけがえのない息子です。そして、ときには夫と思い、また恋人でもあるのです。仲のよいあなたたちに、ジェラシーを感じることもあるのです」と語っている。母だけでなく、妹の美奈子もそう思っていたという。父がライオスであるかどうかは別にして、母はイオカステ、妹はアンティゴネというわけだ。

手塚にとって、「限りない愛」に支えられたマンガは生命と直結している。手塚はタニシの精子の研究で博士号を取得しているが、そのテーマの選択理由について、『ぼくはマンガ家』の中で、「人間の精子の発生の仕組みを知ろうとしてもなかなか新鮮な標本にお目にかかれない。人間の精子のできぐあいも、タニシのそれも、おなじようなものなのだ。タニシの標本から、人間のそれを類推するのである」と書いている。手塚は、生命の流れの中で、マンガを捕らえようとする。マンガは力への意志だ。程度の差はあるとしても、誰にでも力への意志があるとすれば、マンガは誰にでも描ける。「漫画は、だれにでもかけます」(手塚治虫『漫画のかきかた』)。マンガ家は限られた人しかなれないとしても、描くことは誰でもできる。それはマンガを民主的に捉えることにつながる。手塚は「アマチュア向きの、いや、道楽、趣味、手すさび、ひまつぶしといった程度の描き方の手ほどき」という『漫画の描き方』を書くのである。

力への意志に基づいた線は変身への臨界状態にある。「手塚の線は、いつも背後に不定形のものをモチーフとして隠しもっていながら、人物や機械、影や紙などをそれぞれとしてちゃんと指し示す。指し示すことにこだわればこだわるほど、逆にそうでない不定形のものを想像させるような性質の線である」。「この描線の質は、杉浦茂のいわば定常的に不定形な多義性を示している描線とは、またちがう。あくまでも、現実的で具体的なナニかをいつもちゃんと指し示していながら、ある瞬間魔法のように変身してしまうのである。だからこそ、このころの手塚にとって描線がなめらかであることが重要なのだ」(夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』)。杉浦茂の線はアメーバ運動をする。アメーバ運動によって、細胞の移動や捕食活動が始まり、細胞内では、原形質流動が起きる。アメーバ性生物の細胞において、中で流動するゾル状の部分を内質、外側のゲル状の部分を外質と呼ぶ。内質には核、収縮胞、多数のミトコンドリア、食胞が含まれる。アメーバが前進するとき、内質の流れは伸張する前端に達し、そこで両側にわかれて外質に変化するとともに、後端部では外質が次々に内質に変化して前方に流動する。一方、手塚の線は、彼自身はアメーバに親近感を抱いていたかもしれないが、アメーバ運動はしない。つねに自己組織的臨界状態にある。手塚の線はそのものをそれたらしめている何ものか、もしくは顕在性と潜在性を同時に指し示す。「人物や機械、影や紙」という記号を示す。ところが、それは生成するカオスとしての力への意志を背景にしている。あるいは、その「不定形のもの」は現在が潜在的に持っている過去と未来のことかもしれないし、三次元空間の背後に潜んでいる四次元空間かもしれないし、資本主義における貨幣や欲望、ルサンチマンかもしれないし、先進国に搾取され続けている発展途上国かもしれない。それは、線がキセロゲル化しているものの、『鉄腕アトム』の「ミーバ」(一九六六)の寓話が示している。

アトムは体がみどり色の少年、ミーバと出会うが、死にそうな恐怖を味わうと、目の前に過去の空間を呼び寄せられる超能力を持っていた。ミーバは、実は、四次元の生物だったけれども、このまま四次元にいれば、長く持たない状態で生まれたため、母親の配慮により三次元で生活することになったのだった。四次元生物は時間も空間も自由に移動でき、なおかつ姿も自由に変えられる能力がある。母親は、三次元に連れていく際に、ミーバから四次元生物としての能力を使えなくしたはずだったが、過去を呼び戻せる能力だけが、封印されていなかった。しかも、この能力を使うことはミーバから生命力を奪っていく。ところが、ミーバはダモレスクという男に奴隷にされてしまう。ダモレスクは、世界を買うために、ミーバを使って、過去の財宝を手に入れようとしていた。アトムによって救出されたミーバだったが、今度は、ミーバの寿命を知っているにもかかわらず、天馬博士がミーバを使って、二〇〇三年四月七日を呼び寄せ、生まれたばかりのアトムを手に入れようとする。ミーバは、天馬博士を追いかけ、ミーバを取り戻そうとしたダモレスクとその手下からアトムを助けるために、最後には、命を落としてしまう。母親に抱かれて四次元に帰っていくミーバの亡骸を見送りながら、アトムほこうつぶやく。「かわいそうなミーバ」。

変身性を内属した手塚の線には科学技術批判も近代文明批判も不要である。線自体がそれを含んでいるからだ。線の多義性は作品自体の多義性につながっている。手塚の作品は、いわゆるストーリー・マンガであると同時にギャグ・マンガであるように、ハイパー・ジャンルである。線に多義性を持たせられないとすれば、新たなジャンルをつくるほかない。「指し示すことにこだわればこだわるほど、逆にそうでない不定形のものを想像させる」事態は、コギト発見以降の西洋絵画にもついてまわる問題だった。西洋絵画の歴史は、遠近法を筆頭に、記号化の歴史であり、記号化の形成と同時に、LS・ペンローズやM・C・エッシャーなどのだまし絵を生み出していった。この流れはマイナーだったが、二十世紀以降の絵画史では、絵画の記号性を強調し、視覚の問題に還元する運動が主流化していく。だまし絵の最も初期にはアナモルフォーゼがあり、それはデカルト的コギトの変身である。手塚の線はコギトであろうとするがゆえに、アナモルフォーゼする。手塚の線は生成するコギトである。

変身は、世界史的に見て、普遍的な問題であるが、最も日常的には、近代資本主義社会に内在されている。資本主義は経済合理性を透徹しようとするために、変身を反復するのである。商品は貨幣に、貨幣はさらに資本へと変身する。資本は人間にも、動物にも、物にも姿を変えるのだ。資本主義は合理性を証明するために、「異形」として変身を日常世界から排除しようとするが、逆に、資本主義自身の変身性が顕在化する。資本主義は合理性と変身性の両面性を持っているのである。資本主義は人間を物象化させ、物を人格化させる。資本主義は変身を促すが、一方では、自由に変身することを禁じるのである。従って、変身にはユートピア願望が潜んでいる。それは抑圧的な現実に対する自由への意志である。

資本主義的変身を拒絶するために、劇画は不定形をはらまない線を選択した。しかし、これは他者を排除することにしかならない。結果として、「キリング・フィールド」が到来する。手塚の変身は、こうした資本主義に対するGalgenhumor的批判として、機能するのである。手塚は自分自身にあるユートピア的願望を肯定する。変身は他者による規定を前提にし、マンガにおいて重要な問題だった。手塚の変身性の対極にいる大友は線の多義性を取捨した代わりに、過去のマンガ作品のパロディを積極的に導入することにより、別の変身を獲得するのである。

 『ユートピア』はユートピア国の「法律と制度に関する」話であって、それには構成力が要求さる。トマス・モアは大法官であり、彼の法律家としての認識がそれを可能にした。ユートピアは、本来、現実に対する批判とその改革を目的にしている。「ユートピアとは、偽物の一つもない社会をいう。あるいは真実の一つとない社会でもいい」(『ユートピア』)。ユートピアは諷刺的・百科全集的であり、ア・プリオリなものは認めない。それは実際の社会の前提条件を明らかにする。現実の省略・誇張・変形であり、ユートピアを現実世界と結ぶものはパラドックスである。ユートピアは問題の解決法を提示するものではなく、それが所有している意味を展開するものである。トマス・モアは、メニッポスの後継者、ギリシアの諷刺作家ルキアノスを好んでいた。ユートピアにとって真偽ではなく、公式化されている問いに対してその世界が適切であるか否かが重要である。それは虚像を実像と重ね合わせたり、虚像を実像と言いくるめるのではなく、虚像をあるがままに見る人を楽しませる。ユートピアは、そのため、倫理的でなければならない。「うそつきロボット」(一九六四)は、嘘をいつもつくロボットが登場する。そこで、倫理的な嘘は許されるという結論が導き出されている。「マンガにとって、ウソはだいじなものだ。ことに、絵のウソは、どうしても必要なのである」(『マンガの描き方』)。混沌としだ時代だったルネサンスの芸術の特徴の一つは、福音書にはない「笑い」を中心にすえたことにある。教会の権威が絶対であった中世には「笑い」は不謹慎なものであった。トマス・モアはリアリズムの完璧さを顧みない。ただ笑いの持つ倫理的攻撃性を直視し、すぐれた諷刺を書いたのである。

手塚は、『マンガの描き方』の「あとがき」で「漫画というもの本質」を「諷刺」と言っているように、メニッポス的諷刺を描いてきた。手塚がマンガでコギトを見出せたのは、この諷刺への意志が強かったからである。『方法序説』において、「私がそのように一切が虚偽であると考えようと欲する限り、そのように『私』は必然的に何ものかであらねばならぬと気がついた」と書くデカルトは、方法的懐疑の結果、”cogito ergo sum”を導き出す。けれども、手塚はそこでとどまらなかった。それさえも諷刺にする。コギトはさらに何ものかへと変身するのだ。手塚にとってコギトは実体ではなく、作用である。

マンガの基本が起承転結の四コマ・マンガであるとすれば、それはロマンティック・アイロニーに属している。長編マンガは、本質的に、ロマンスであり、作者の願望が反映されやすい性質がある。手塚はロマンスを知りつくし、その可能性を追求し続け、ロマンスをメニッポス的諷刺として描くことを考えた。『マンガの描き方』を読むと、手塚にとって、「ギャグ」と「ユーモア」を含む「おかしさ」が欠かすことのできない要素ということがわかる。「漫画のなにがおもしろいかといって、あのしたたかなウソ、ホラ、デタラメ、支離滅裂、荒唐無稽さに出会ったときの楽しさったら、ないのである。()漫画を描こうとする人は、力の及ぶ限り、ウソ、ホラ、デタラメに徹してほしい。ことに絵のうえでは、PTAや警視庁からとたんにクレームがつくくらい、ハメをはずしてめちゃくちゃを描いてほしいものだ」(『マンガの描き方』)。手塚にとってマンガの理想は、最期まで、ファルスだった。『陽だまりの樹』(一九八一−八六)で、父の手塚良仙が亡くなった後、手塚良庵が「おい…みんな!もう覚悟していたことじゃねえか。みっともなく泣くない。おとっつあんは、陽気な見送りが、好きなんだぞ」と言う。手塚良仙・手塚良庵は実在した手塚治虫の祖先であり、手塚は自分自身を彼らにダブらせて、描いていた。一九八九年一月十五日最後の日記に、手塚は新作の構想を記している。癌の宣告をされた患者が入院室のトイレに天井画を描き始める。ミケランジェロに匹敵する傑作に驚いた世界中のメディアが取材にやってくる。「彼はなぜこうまでしてピエタにこだわったのか?これがこの作品のテーマになる。浄化と昇天、これがこの死にかけた人間の世界への挑戦だったのだ!」という物語は、「浄化と昇天」という点では、A・タルコフスキーの『ノスタルジア』(一九八三)や『サクリファイス』(一九八六)に通じ、トイレへのこだわりは谷崎潤一郎を思い起こさせる。谷崎は、何度も、文学的に死んだと言われながら、晩年に至るまで、構成力を持ち続けた。その作品はメニッポス的諷刺であり、潜在的にファルスだった。エロティシズムはアイロニーであるが、谷崎の笑いはファルスであって、むしろ、アンチエロティシズムである。また、谷崎はマゾヒストであるから、女性に対して、「常にパッシブ」な姿勢をとった。この意味において、「得体の知れないもの」に「常にパッシブ」な手塚の作品もアンチエロティシズムであり、エロティシズムはかけらもない。

 笑いを大切にしていても、手塚はジャンルとしてギャグ・マンガを書いたことはない。手塚にとって、ギャグは作品に忍びこませる遊びだった。この遊びは、マンガのメディア特性を熟知していなければならない以上、真に高度である。手塚はヒョウタンツギやスパイダーなどの謎の生物を筋の進行とは関係なしに書きこんだり、コマとコマの間の枠に登場人物を座らせたり、吹き出しを投げさせたりするなど遊びが多い。あのねのねを彷彿させるこの「落書き」の傾向は、生涯に渡って、変わらなかった。石ノ森の弟子だった成井紀郎は、『宇宙鉄人キョーダイン』(一九七五)や『ゴーゴー悟空』(一九七六)において、手塚流の遊びをギャグ・マンガで復活させた。両方ともマンガというメディアを知りつくした傑作であり、パロディの極限という点では、日本マンガ史上、最も徹底していた。パロディという観点からマンガ批評を語る際には、成井の作品は欠かせない。成井のギャグは映画『ホームアローン(Home Alone)』三部作(一九九〇、九二、九七)や『小さな目撃者(Do Not Disturb!)』(一九九九)、『スパイ・キッズ(Spy Kids)』三部作(二〇〇一、〇二、〇三)、『トラブル・キッズ マックス・キーブルの大逆襲(Max Keeble’s Big Move)(二〇〇一)といった子供を主役にしたコメディに見られるようなタイプであることを付け加えておこう。

 

ぼくは沼が好きなマックグーグルス(McGoogle)だ。

さあ、大好きなカエルとゲームをしよう。

ワン、つま先触って

ツー、鼻つまんで引っぱる。

スリー、耳かいて。

フォー、さあ、元気よく。

ファイブ、お尻ふって。

シックス、舌うちして。

さあやってみよう。

 

ぼくは沼が好きなマックグーグルスだ。

大好きなカエルとゲームをしよう。

パパとママを呼んで、

お友達もね。

みんなで一緒に始めよう、

さあ、愉快で楽しいカエルのゲーム。

Woo!

(マックグーグルズ『マックグーグルスの歌』)

 

 『宇宙鉄人キョーダイン』(原作石ノ森章太郎)は、連載開始当初、石ノ森作品特有の負い目が見られる作品だったが、途中から、『宇宙鉄人ジョーダイン』と成井が呼ぶほどのギャグ・マンガに変わった。成井の線は、城卓矢の『トンバでいこう』のごとく、陽気で、石ノ森作品とは相容れなかった。原作とは似ても似つかない作品になったが、読者はそれを支持していた。とにかく明るく、シュレーダーの階段をとりいれるなど絵画の記号性をからかうだけでなく、マンガ記号の遊びにあふれた作品だった。『ゴーゴー悟空』では、それがより強調された。「スター・システム」も、『宇宙鉄人キョーダイン』でもその傾向があったが、導入している。この場合の「スター・システム」は比喩ではなく、文字通り、TVに登場してきたヒーローやヒロイン、悪役、さらにそのパロディを出演させた。仮面ライダーの警官、コンバトラーVの農民、キングギドラのヤマタノオロチ、宇崎竜童のアオ。堀江美都子のお釈迦様、雪駄の顔をしたジェッター・マルスでセッター・マルス、下駄の顔をしたゲッター・ロボでゲター・ロボなど他にもあげればきりがない。成井本人も、作者と同時に博士としても登場している。その上、モッブ・シーンにもはちきれんばかりの生の躍動感があった。成井は、手塚ほどの柔軟性のある強い線ではなかったにしても、手塚の「落書き」精神の正統な後継者だった。

 手塚は、『ぼくはマンガ家』において、「落書き」について次のように書いている。

 

 なんとしても子供時代の絵は、天衣無縫で無邪気だ。漫画は落書き精神から発するというが、近ごろは、落書きのような楽しい子供漫画が少なくなった。ぼくは、シリアスで深刻な話を描いていて、フッと自分で照れたときに、童心にかえるつもりで、このヒョウタンツギヲ出してみるのだ。

最近、これすらも、「邪魔だからこんなものは止めてください」と投書してくる子供が多くなってきたのには、なんとなくさみしい気がする。

 

 パブロ・ピカソが、「幼子」の持つ「生成の無垢」(ニーチェ)を目指すために、あの画風を試みたように、手塚の「落書き」はユーモアやギャグであり、「生成の無垢」である。手塚の「落書き」はパラドックスをはらんでいた。マンガは記号によって表現する以上、その論理学にはパラドックスが生じる。手塚も『西遊記』をモチーフに「落書き」が最も発揮された作品『ぼくのそんごくう』(一九五二−五九)を描いていたが、『ゴーゴー悟空』はそれさえもパロディにしていた。成井の悟空は、マンガの中なので、如意棒の代わりにペンを背負っている。手塚の提起した「落書き」の持つパラドックスを最も体現していたのが成井だったのである。

『ゴーゴー悟空』に「殺人」がないように、手塚が描けなかったのは「死」ではなく、「殺人」である。手塚は、最後まで、銃や刀、戦車、戦闘機などの武器に関してリアルに描かなかった。また、決闘や格闘もリアルに描くことを忌避した。それらはすべて「殺人」につながるからだ。手塚は肉体性に乏しくないどころか、構成力や線を見ればわかるように、非常に身体性の強いマンガ家だった。その肉体を殺し、殺されることは手塚には耐えがたい。一九二八年に生まれた手塚にとって、死は戦争とつながっている。戦争において、死ぬことは殺されることである。学生の頃、医者を志した理由も「自分は死にたくない。死ぬのはこわい」からだった。そんな医者志望のマンガ家が「殺人」など描けない。

壁村編集長の心遣いとは逆に、手塚が一九七三年に連載を開始した『ブラック・ジャック』で復活できたのは、主人公を医者にしたからである。手塚マンガにおいて医学がかかわる作品は、概して、出来がいい。「異形編」も、ある意味で、主人公は医者である。医者は罪を贖罪しなければならないものがつく職業として描かれていることは興味深い。医者には原罪があるというわけだ。これは手塚自身にとってのGalgenhumorである。医者を描く場合でも、手塚は政治的・経済的に描く。『ブラック・ジャック』は日本から風土病が駆逐されつつも、公害病や新たな感染症が登場してきた時代に連載を始めている。医学はカオスに置かれていたのだ。手塚はこのカオスを描き出す。『ブラック・ジャック』において、手塚は人間の臓器を描いているが、グロテスクさはなく、非常に物象化している。医者は患者を物象化しなければならない。硬くなった線が、むしろ、それをうまく伝えている。『ブラック・ジャック』では、医学をめぐるすべての問題が出尽くしている。医師免許、医師会、保険制度、安楽死、地域医療、インフォームド・コンセント、新たな感染症、臓器移植、生命倫理、病院経営、医療ミス、学閥、病気への偏見などあげればきりがない。また、モリエールの『いやいやながら医者にされ』など医者をめぐる芸術作品のパロディも数多く見られる。『ブラック・ジャック』は、マンガに限らず、医学に関して描かれた作品の中で、世界史上最高である。

夏目房之介は、『手塚治虫はどこにいる』の中で、七〇年代の手塚について、「生命感の喪失とひきかえに、軽やかに様式化した〈事件〉が、そのぶん装飾的になったコマで描かれている。この世界では、もはやコマとコマのあいだに粘りつくような〈時間〉はなく、それに緊密に支えられていた〈物語〉は、そのぶん遊離している。〈物語〉はもちろんあるが、緊密な圧縮感が失われているのだ。この遊離した部分に手塚は、装飾的なコマの遊びを埋めこんで代償にしているように見える」と述べている。六〇年代までの手塚の物語はコロイドだった。ところが、電解質が入りこむことによって、コロイド粒子が沈殿するようになり、「液体の自由」が失われていく。描こうとすると、登場人物がキセロゲル、世界がエーロゾル化してしまう。そこで、「液体の自由」を確保するために、手塚は、むしろ、七〇年代になると、コロイド粒子の帯電性を意識的に強調した。MRIなどの検査器具が静電気や磁力に基づいているように、手塚は粒子をめぐる電磁力に着目し、物語に量子力学を導入することを始めたのである。手塚は細胞レベルで生命を捉えていたが、遺伝子レベルで生命を把握せざるを得ないことを再認識した。手塚は、以前から、バイオテクノロジー的な認識を強く抱いていた。手塚作品において医学は最も重要な視点であり、この点はまだまだ読まれる可能性を残している。手塚はバイオテクノロジーと量子力学の融合、さらにバイオエレクトロニクスの方法もマンガに導入している。いずれ、手塚のマンガがヒトゲノム計画を超えており、そこから新たな科学的テクノロジーが見出されることは間違いない。

復活したとしても、それ以降の手塚は優れたいマンガ家の一人であって、最高のマンガ家ではなかった。八〇年代最高のマンガ家は大友克洋だろう。手塚は、大容量のデータを記録・送信するには、記号化するほかないと考え、その上で、記号の多義性を利用したとすれば、大友は、大容量のデータを記録・送信する際に、記号に頼らない方法を模索した。マンガの微分方程式とも、ナノテクノロジーとも呼べる細かな描写を使う代わりに、多義性を排除し、全体を軽くすることによって、それは可能になった。大友はマンガの絵の要素から意味や解釈といった質的側面を排して、すべてを量的に置き換えたと言ってよい。「もっと単純化していえば時間の過剰を空間におきかえて昇華することを、大友はやったんです」(『手塚治虫の冒険』)。大友の姿勢はハイパーリアリズムに近い。大友の線はすべてが等価であると何のアイロニーもなく静かにつぶやいている。それは光学機器の目である。大友は石ノ森以来のコマの修辞学を線の修辞学に変換した。大友は、そのため、非常に定型化されたコマを用いる。ハイパーリアリズムは、一九六〇年代後半、アメリカに登場した芸術傾向であるが、「フォトリアリズム」とも「スーパーリアリズム」とも「ニューリアリズム」とも呼ばれる。ハイパーリアリズムは写真と絵画のメディアの融合をポップアート以後に考えている。目で見える以上に正確に現実を構成したり、複製の複製を目指すことによって、リアリズムにあった現実の再現という約束自体の姿を浮き彫りにする。これは、当然、都市化を前提にする。東京オリンピックを境に、日本中が都市化=画一化していく。劇画はこの都市化とともに生まれた。『鉄腕アトム』で手塚の描く東京は二十一世紀的新しさと二十世紀的古さの混在した不定形の都市である。ただ、劇画には都市への嫌悪感があったが、大友にはそれはない。「大友克洋は、いわば戦後マンガが達成してきた修辞法を打ち消し、解体したあげくに、物語ってものを、自分の修辞法でもう一度読みかえてつくりあげる。それが『Fire-ball』から『童夢』『AKIRA』にいたる80年代でした」(『手塚治虫の冒険』)。手塚は空間や時間だけでなく、一切を記号化し、サンプリングした。すべてが記号化できるとすれば、一切は等価であり、使用されるのを待っているファイルだという結論が導き出される。大友は、この点では、手塚の最良の読者である。ハイパーリアリズムは、ポップアートの記号性に対して、アメリカ絵画のリアリズムの伝統に起源を持っている。二十世紀初頭のアシュカン派、その後のエドワード・ホッパーやアンドリュー・ワイエスの系譜の延長上にある。マルコム・モーリーは旅行用のパンフレットのイラスト、絵葉書、広告に基づいて絵を制作している。リチャード・エステスは都市の風景、ロバート・コッティンガムはネオン広告、ラルフ・ゴーイングスは自動車、チャック・クロースは人物を描いている。さらに、トウェイン・ハンソンやジョン・デ・アンドレアは実物からの型抜きによる原寸大の人物像をつくり、それに本物の衣服やアクセサリーを身につけさせ、彩色を施している。彼らにとって、主題選択に意味があるのだ。その上で、彼らは十九世紀後半のポンピエ絵画のような厳密なアカデミズムに立ち戻り、対象とモデルを徹底してリアルに表現する。

手塚は、『カミソリ感覚』において、大友について次のように述べている。

 

それは生涯の宝物である。大友さんはその宝物を両手一杯に持っている。どんなに他人が上手に真似ようとそれはまがいものであって価値はない。大友さんは世にも素敵な本物の宝物をぼくらに見せびらかす。ぼくらは驚嘆し、羨望し、憧憬してかなわないと思う。特にぼくはデッサンの基礎をやっていないから、こんな絵を見せられてはたまらない。一も二もなく降参するのだ。

 

手塚が大友に「デッサン」を読み取ったのは、「デッサン」が、近代絵画において、アカデミズムを意味しているからである。手塚は非アカデミズムだった。マンガの絵は、手塚の考えでは、アカデミズムである必要はない。絵が審美的領域にあるのなら、アカデミズムだけでもいいだろう。だが、絵が倫理的であるとしたら、デカルトの同時代人モンテーニュが『エッセー』で「道徳哲学は、平民の私の生活の中からも、それよりずっと高貴な生活の中からも、まったく同じように引き出される」と書いたように、アカデミズムである必要はない。「漫画は庶民の批評精神なのだ」(『マンガの描き方』)。アカデミズムは理論を持っていても、倫理を身につけていない。アドルフ・アイヒマン同様、「スペシャリスト」でしかないのだ。手塚はマンガの倫理性を強調する。マンガ家は、手塚に従えば、説明責任という倫理に基づいたプロフェッショナルでなければならないのである。

手塚は、戦前の漫画家と違って、マンガを絵画の延長とは考えていなかった。戦前の漫画家には「いかに描くか」はあっても、「いかに伝えるか」が欠けていた。彼らはマンガの徹底とした記号化に踏み切れなかった。手塚は、『マンガの描き方』において、「漫画はほんらい、訴えるものが強烈に出ていればそれでいい」のであって、「ポーズが描けないという人の大半は、この人体デッサンの常識にこだわっているからである」し、「ポーズの奇抜さ、奔放さを十分納得したうえで、みっちり、人体デッサンをやることは、大いに必要である」と言っている。

こう語る手塚に対して、石ノ森を筆頭にした後継者や劇画を代表にした批判者は美醜を基準に持ってきた。手塚は、谷崎同様、政治的・契約的だった。手塚が生涯に渡ってスタイルを変えたのは、制度を嫌っていたためだった。制度は権威を生み出す。権威となったとき、それは死を迎える。手塚はマンガ家として殺されたくなかった。審美的・制度的だった石ノ森は、手塚と違い、七〇年代以降、意識的な変化をとらなくなった。手塚の原稿料は、一九七〇年代以降、決して高くなかった。手塚は原稿料を抑え、その代わりに、単行本の印税率をあげる契約を各出版社と交わしている。民主主義者手塚は干されることを恐れたのである。出版社にとっても、これは出来高払いになり、メリットがあった。マンガも市場原理に基づいている。魅力のないマンガに読者は投資しない。手塚はマンガの経済性を直視していた。手塚悦子の『手塚治虫の知られざる天才人生』によると、手塚治虫は息子真の才能に「焼きもち」をやいていたという。手塚は表現者としてはいかなるときでも「制度」になることを嫌っていたのだ。リーマス大佐はマンガ家としての手塚自身の比喩でもある。新しいマンガの手法が生まれたら、変身してしまっても、それと共生していく。石ノ森は、自伝的マンガ『青いマン華鏡』(一九七三)で書いているように、マンガを「芸術」と把握していた。石ノ森の姉は、どうしても芸術性を高めようとするあまり難解さに走る傾向にあった彼に、難しくないけれども高い芸術性を持っている「ジョン・フォード」の映画のようなマンガを描くことを諭している。石ノ森は、ときには、読者を無視し、娯楽路線をとらないことを厭わなかった。石ノ森に対して、手塚がマンガの娯楽性を重視し、商業主義を堅持したのは、政治的だったからである。政治権力の正統性には民衆の支持が欠かせない。手塚には読者の反応は自らの正統性に直結した。手塚のマンガ家としての政治権力は制度ではなく、民衆との社会契約に基づいている。手塚は自らの正統性獲得のために、スタイルを変えることをためらはない。長野規編集長や西村繁男編集長に始まる『週刊少年ジャンプ』が極度にこれを強調し、編集が介入する結果になった。小林よしのりは、それを疎ましく思い、逆に、読者を背景に自分のスタイルを制度化させようと躍起になり、現在に至っている。晩年の石ノ森は、西村編集長の頃に頭角をあらわした秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の巻末エッセーにおいて、名作は量産の中から生まれるという趣旨の下、「ジョン・フォード」に言及している。「マンガがとても豊かな娯楽性を発揮して、大衆文化として根づいているとすれば、先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離しないで、交流しながら発展しているからだろうと考えられます。おうおうにして批評家やマニアがバカにしてしまうような作品、どこを読んでも同じような類型的な作品がたくさんあることによって、初めてマンガ文化全体が豊かなダイナミズムをもちうるのです。『いいマンガ』、『優れたマンガ』、『先鋭的なマンガ』のみを評価して、『くだらないモノ』は排除するという発想でマンガをとらえると、自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」(『マンガはなぜ面白いのか』)

手塚も夏目房之介の意見に同意する。マンガは、そのため、アナーキーでなければならない。「どんなものを、どんなふうに描いてもいいのだ。支離滅裂、奇怪破廉恥、荒唐無稽、独善茫然自暴自棄、非道残虐陰惨無法、狂乱狂恋百鬼夜行的なものを描いてもらいたい。それがつまり落書き精神だ」。

けれども、手塚は、『マンガの描き方』において、倫理はあると続けて次のように述べている。

 

しかし、漫画を描くうえで、これだけは絶対に守らなければならぬことがある。

それは、基本的人権だ。

どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、だんじて茶化してはならない。

それは

一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと

一、特定の職業を見くだすようなこと

一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと

この三つだけは、どんな場合にどんな漫画を描こうと、かならず守ってもらいたい。

これは、プロと、アマチュアと、はじめて漫画を描く人を問わずである。

これをおかすような漫画がもしあったときは、描き手側からも、読者からも、注意しあうようにしたいものです。

 

手塚の倫理は他者を認めること、すなわち共生である。しかし、それに反しているものを規制してはならない。「権力や圧力の庇護があって、漫画家は何ができようか」(『ぼくはマンガ家』)。暴力を背景にするのではなく、議論を通じて、マンガにおける共生を実現しなければならない。しかも、議論は「人権」を制度化させることを妨げる。すべてが時代によって変わっていくように、「人権」の枠組みも変身していく。

 手塚治虫の作品にはこうした倫理の問題はあっても、自意識や成長といったロマン主義的な問題はない。手塚だけでなく、トキワ荘世代にも、こうした問題はない。手塚はゲーテのFaustを三度マンガ化し、ニーチェ的に『ファウスト』を読み、その克服を試みている。手塚が描きたかったのは、先に述べたように、ポスト永劫回帰だった。アトム自身もそれを体現している。アトムはコギトを持つロボットとして登場した。「電光人間」や「アトラス」(一九五六)において、人間と比べたアトムの不完全性が問われている。アトムには「悪」がないというわけだ。この「悪」の欠落はニーチェの『反時代的考察』における「ルソーの人間」から「ゲーテの人間」を経由して、「ショーペンハウエルの人間」への転換を意味する。国木田独歩の『武蔵野』の一節が引用されている「赤いネコ」のエコ・テロを敢行する四足には、「ルソーの人間」特有のロマン主義的情熱が見られる。アトムは、このとき、「ゲーテの人間」として振舞っている。しかし、「ゲーテの人間」はメフィストフェレス的「悪」が欠けているため、俗物に堕してしまう危険性があり、そこで、「ショーペンハウエルの人間」へと変化する必要がある。「青騎士」から「メラニン一族」で、手塚はそれを提示しなければならなかった。だが、「ショーペンハウエルの人間」は価値破壊には適していても、新たな価値を創出できない。アトムは新しい価値を創造するために、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の「幼子」へと変化を遂げる。「幼子は無垢である。忘却である。そして一つの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っていた者は自分の世界を獲得する」。「アルプスの決闘」(一九五六)では、アトムも人間の感情を持つことに憧れ、実際、持ってみるものの、最終的に、ロボットである自分自身を受け入れる。アトムは自らに宿る「幼子」を肯定するとき、アトムの幼児体型は好ましいものとなる。これにより、アトムは手塚にさらなる変身を促したのである。アトムは時代に沿って成長しているわけではなく、子供の頃見た「夢」のように、それぞれの作品で、さまざまな姿を示している。アトム自身も記号であり、場面と設定に応じて、役を演じているだけなのだ。「思い出のアルバムを繰るとき、別に、生まれたときから順にする必要もない。それに、いたるところが欠落だらけで、連想によって、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだり、いくつかの情景の断片が、編集されていく。みらいへのゆめにしても、いろんなイメージが脈絡もなくあって、それが順次に達成していくほどの計画性はない。もっと極端には、夢の中の時間がある。これこそ断片が、矛盾しながら重なりあっている。ただしぼくは、見たつもりの夢の物語を、本当に見たのかどうか、ちょっと疑問に思っている。あれは、目ざめたときにその断片を物語に編集したものではないだろうか。それゆえ、夢判断というものの有効性は、編集批評としてあるのかもしれない」(森毅『過去・現在・未来』)

手塚治虫と同時代を生きた森毅は、『マンやヘッセを読んだ時代』において、「空襲の中でゲーテを読んだって、それは『オレンジの花咲く南の国』の話であって、自分自身の人間形成になんの関係もない」と言い、続けて次のように述べている。

 

戦中から戦後にかけては、むしろ成長が約束されていないところに特徴がある。決まったコースで成長することが約束された中で、青春という通過儀礼を待つというのは、明治以来のエリート文化だったのかもしれぬが、それはすでに崩壊していたはずで、考えようによっては、昭和をその崩壊過程と考えることだってできる。

 

人生その時々に、それを成長と呼べるかどうかは別としても、さまざまな屈折があるのは当然のことである。そして、その原型が青春にあって、その時に人生が固まってしまうものでもなく、別の形の屈折として姿を現すものだろう。そうした意味でこそ、青春の屈折である。それは成長を約束させるものでもない。現在のぼく自身にとって、マンやヘッセを読んだ時代というのは、もうほとんど忘れてしまった青春の物語でしかない。しかしながら、その青春をどう位置づけるかは、老人の現在の問題としてある。

 

これは手塚の思いそのものであろう。森毅は手塚少年をよく知っていたし、母親がファンだったこともあって、手塚以上に、「ヅカ・ガール」と親しかった。彼らには成長主義や男性中心主義はなかった。ただ「夢」の時間性があっただけである。

 通時的に見れば、五〇年代では弾力性のある線、六〇年代には硬い線という違いはあるものの、手塚は人間もロボットも動物も同じ線で描いている。手塚はすべてが生命体なのだと言っているわけだが、より正確には、それは機械としての生命体という意味である。この場合の機械は言語によって構成されているバイオエレクトロニクスと解釈する必要がある。手塚は人間も動物もロボットも区別しない。人間も動物もロボットも機械だからだ。人間も動物も遺伝子で書かれた機械である。その違いは、ヒトゲノム計画が明らかにした通り、ほとんどない。少なくとも、一九六一年に「異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的考察」により奈良医科大学から医学博士号を授与された手塚は、遺伝子レベルでは、人間と他の生物は極めて類似点が多いことを知っていた。「タニシの精子と人間の精子とをくらべると──いや、べつにタニシでなくとも、豚でも庭と鶏でもおなじなのだが──大きな共通点があることがわかる。横に切って調べると軸索が九本螺旋状に走っているのが見える。これは、いかなる動物の精子でも九本より多くもなければ少なくもない。実に奇妙な統一なのだ」(『ぼくはマンガ家』)。いかなる生物も遺伝子という情報によって成立し、ロボットを構成するコンピューターは機械語で動く。三者とも言語によって書かれた機械である。大友は無機的にすべてを捉えるが、手塚はそれをバイオエレクトロニクスと見ていると考えるべきだろう。意欲的なマンガほど、時代とともに、人物を男性=女性という区別ではなく、中性として捉える傾向にある。しかし、手塚の線は男性でも、女性でも、中性でもない。つねに「克服されるべき何ものか」(『ツァラトゥストゥラ』)、生成を表象している。

手塚は、『マンガの描き方』の中で、手塚マンガのテーマは大きく二つあり、そのうちの一つが「言葉のちがう者同士のヒューマン・リレーションの欠如」と言っている。手塚によると、その代表が『鉄腕アトム』や『0マン』、『リボンの騎士』、『ブラック・ジャック』であって、さらに、『鉄腕アトム』の中に「注ぎ込まれたテーマは、人間のロボットに対する侮蔑とか差別であり、優位に立った者の行動に対する、疑問でもあるのだ。虐げられたロボットのコンプレックスと自覚。この両者の間で、人間でも機械でもない、アトムという少年の、悩みを描いているのだ」。『鉄腕アトム』では、アトムはお茶の水小学校へ通っているが、アトムが脇役だった『アトム大使』では、「ヒューマン・リレーションの欠如」にのみ焦点があてられていた。『アトム大使』では、素朴な共生を批判している。最初はうまくいっているかに見えて、不満と不信が蓄積し、些細なことをきっかけにして、ファシズム的運動が始まってしまう。関東大震災後の朝鮮人虐殺を思わせるようなデマによる宇宙人虐殺を描いている。宇宙人は地球人に対して報復を宣言し、全面戦争に突入しそうになる。地球人でも、宇宙人でもないロボットのアトムが宇宙人と交渉するために、宇宙船へ向う。アトムは大使の役割を果たし、両者は和解する。お茶の水博士は、ヒゲオヤジに対して、『アトム大使』の最後で、「人間のやってることが正しいか狂っているかは…機械が一番よく知っとるんじゃよ、きみ!!」と言っている。『鉄腕アトム』でも、アトムは人間とロボットの大使を演じているが、『アトム大使』とは違い、第三者ではない。「青騎士」において描かれているロボタニアは、ユダヤ人による国民国家イスラエルの建設を引き合いに出している。また、「メラニン一族」では、アメリカの黒人によるリベリア設立を思い起こさせるアトムによるアフリカにロボットの国家建設が計られる。ロボットに対する差別がなくならない理由で、ロボットによるロボットのためのロボットの国民国家建設に賛成したものの、アトムはそれを最終的に放棄する。ロボットと人間は共生していくべきなのだ。アトムはいつでも交渉する大使である。手塚は、一貫して、暴力による「ヒューマン・リレーションの欠如」の解決を認めない。「アトラス」において、ラテン・アメリカの先住民族差別を告発しつつも、テロリズムはその解決策にならないと主張している。当時の手塚の理想とする政治体制は、「ZZZ総統」(一九五四)で「地球連邦」を描いているように、社会民主主義的な連邦制・共和制である。手塚にとって政治体制は共生を目指すものでなければならない。手塚の共生は、「アトム今昔物語」の中のリーマス大佐と宇宙人のケースが示している通り、パラサイトの肯定である。「ヒトとその体内に棲む寄生虫との関係は『共生』である」(藤田紘一郎『共生の意味論』)。「アトム今昔物語」が執筆された頃、日本では、寄生虫を排除する方向に向っていた。手塚の「共生」は今日の医学的傾向を先取っていたのである。手塚治虫の共生をめぐる認識は極めて刺激的である。ミトコンドリアの謎や進化論に対して示唆を与えてくれる。ミトコンドリアは、河野重行の『ミトコンドリアの謎』によると、細胞の中に存在し、呼吸をして、エネルギーを生産する。その上、DNAを持ち、老化に関係し、性的ふるまいをする。ミトコンドリアは、本来、別の生物であったが、細胞の中に入りこみ、共生するようになる。生物進化は、手塚治虫に従えば、環境要因や遺伝子の突然変異のみならず、こうした「共生」によって促進される。「共生」から見ても、『鉄腕アトム』はさらに読まれなければならない。「鴨長明とか、与謝蕪村とか、そうした人の生き方に憧れている。都の俗を避けて山にいるようで、加茂の祭ともなれば、浮かれている長明が好きだ。蕪村だって、南の芝居を欠かしたことがない。俗を捨てたと言いながらも、ときにはだれかに馳走になって、俗を楽しまぬでもない。世俗にこだわらなかっただけのことで、なんとも優雅だ。考えようによっては、これは俗に寄生することでもある。雅の人だらけになったら、世の歯車はまわらないだろう。俗あっての雅である。だから、俗を敵にしては優雅になれない。(略)雅の人のいいのは、俗のなかの雅として、世のバランスを支えているからである。そして、世の中のこととよりなにより、雅の人を眺める自分自身にとって、俗に生きる自分に雅の風穴があく」(森毅『清貧より優雅』)

手塚マンガのもう一つのテーマは、手塚によれば、「生と死」であり、それを最も明瞭に打ち出した作品が『火の鳥』である。「自分が死ぬときになって、『ああ、死とはこういうものか』という体験をする、そのときが、この物語の終わるときではないか、とさえ思っている」。だとすれば、『鉄腕アトム』と同様、『火の鳥』が終わることはなかっただろう。「隣へ行って仕事をする。仕事をさせてくれ」と言って、手塚悦子によれば、手塚治虫は亡くなったのだから。手塚は終わりが嫌いだった。『鉄腕アトム』は雑誌では未完のまま終わった。TVアニメではアトムは死んだことになっているが、『産経新聞』の「アトム今昔物語」のほか、アニメの後のアトムを何度か描いている。『ブラック・ジャック』も、本質的に、終わっていない。一九七八年九月に「人生という名のSL」で連載は終えているが、その後、何度も読み切りを発表している。手塚は完結した作品にも、手を加えた。『ジャングル大帝』のように、加筆すると、作品を台無しにすることも少なくないい。手塚にとって、作品の終わりがないのは、終わりが死を意味するからである。神の死が決定不能に陥っている時代にあって、それはふさわしくない。

手塚はこの時代を体現したマンガ家としての老いにも挑戦していた。水木しげるのように、デビュー年齢が遅い場合はともかく、年齢とともに、視力は衰え、筋肉の柔らかさと強さは失われていくのであり、転換はやむをえない。速球投手が変化球投手に変身していくように、年齢にあわせた線の描き方が問われるようになっている。手塚は、ギクシャクしながらも、転換できたが、晩年、丸を描けなくなったと嘆いていた。けれども、これまでの歩みからも明らかなように、衰えを指摘されながらも、マンガではマンガ家と道具とのせめぎあいもある以上、新たなテクノロジーを導入しつつ、新しいマンガの方法を提出することは手塚には可能だろう。

 夏目房之介は、一九九六年、NHK教育テレビにおいて、『マンガはなぜ面白いのか』という十二回に渡る素晴らしい連続講義を行ったが、今や「マンガはなぜ面白かったのか」という時代に突入した。戦後マンガは東西冷戦の解体とバブル経済の崩壊でエネルギーがなくなった。戦後マンガが立脚してきた経済成長と東西冷戦が消失したからである。大友の手法ももうそのままでは使えない。大友のマンガは東京オリンピック以降の日本を最も体現してきた。それは、『AKIRA』の最後が物語っている通り、他者、すなわち「言葉のちがうもの」の排除へと辿り着かざるをえない。

他者の欠落を戦後マンガの愛に関する描写が端的に表わしている。戦後マンガは愛を描けなかった。愛は心理の問題ではない。力の問題である。日本マンガにおいて愛は自己嫌悪と自己憐憫のレベルに貶められてしまった。自己嫌悪と自己憐憫の多様さを描いたことは事実であるが、他者の不在だけが目につく。恋愛という観点から、手塚などいくつかの例外を除けば、戦後マンガを読むことは不毛である。「言葉のちがう者同士」、外国人同士のコミュニケーションでは、オーバーアクションを使わざるをえない。感情や主張を相手に伝えるために、表情や仕種にわかりやすく記号化しなければならないのである。

手塚のマンガ革命は潜在性を記号化によって顕在化する試みだったが、戦後マンガはすでに顕在化している問題を比喩として用い、発展してきた。

夏目房之介は、『手塚治虫の冒険』の中で、マンガを生み出した力について、次のように述べている。

 

ともかく日本語の構造っていうものに、ある力がはたらいて立体化して、日本のマンガができた。じゃあその力は何だったのか。それは外部性と越境の力学だったんじゃないかと僕は思ってるんです。つまり手塚が戦後マンガにもち込んだものですね。

 

一コマ・マンガ以外は、マンガが、絵画と比べて、言語に依存しているのは確かであるとしても、「外部性と越境の力学」は高度に消費化した資本主義の運動そのものである。しかし、日本国内では、それが理念上にすぎず、コミュニケーションのレベルで、根本的な変化をもたらさなかった。外部へ越境することはあっても、外部から越境されることは少なかった。力は、マンガにおいて、記号と記号の交換であり、この交換は一方的だったのである。戦後マンガはマンガ家と読者の間の無意識的な共犯関係によって成り立っている。越境されることが少なかったため、戦後マンガが最も描けなかったのは、それぞれの人間の違いをパーソナリティだけでなく、社会的・時代的背景に基づいている点である。たとえ海外でマンガが受け入れられているとしても、外国人を描けた作品はほとんどない。「民族や国別や職業別の顔の描きわけ」(『マンガの描き方』)が不十分である。意識していないような思考を含めて、医師を扱う場合、内科医、外科医、耳鼻科医、眼科医、皮膚科医などの違いを描きわける必要がある。手塚は、「てるてる坊主」(一九七六)や「湯治場のふたり」(一九七六)、「土砂降り」(一九七七)などでブラック・ジャックが外科医であることをうまく描いている。外科医は、手術をほとんど行わない内科医と違い、比較的、患者の話を聞かない傾向にある。日本における問題の多くは、三十八度線のような可視的ではなく、不可視である。ただ、高度経済成長による風景の変化は数少ない可視的問題を提供してきた。戦後マンガは問題の潜在性を顕在化することなく、マンガ家も、読者も、東西冷戦構造と高度経済成長という可視的な枠組みに依存してきたのだ。

東西冷戦構造の解体とバブル経済の崩壊によって、戦後マンガ発展の根拠は失われた。さらに、一九九〇年代後半に起きた地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災、グローバリゼーション、IT革命、政治・経済の破綻は戦後マンガの「思想」の多くを無効にしたのである。そうした事件や出来事を超えても、例外的に、手塚の提起した問題は生き続けている。潜在的に存在してきた他者が顕在化してきたとき、他者を意識し続けた手塚が蘇るのは当然である。手塚は、現実に対して、冷ややかに構えることもなく、やりすごす姿勢を持たなかった。『マンガの描き方』の「あとがき」において、「漫画は今後、どうなるでしょうね」と問われ、手塚は「世界じゅうをひっくり返すような漫画が、今後、出ないもんですかなあ。日本だけの反響なんて、小さすぎる」と答えている。日本のマンガやアニメはかつてないほど輸出され、戦後日本がそうだったように、若年層を中心に、日本の文化として受容されている。手塚がぶつかった異文化の壁は著しく低くなった。手塚は『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』のアニメが海外に輸出されたこともあって、異文化と直面し、それを意識せざるをえなかった。手塚以外はこの他者の視線をあまり気づかなかった。戦後マンガは、日本語の世界で、自閉的に発達してきた。日本のマンガは、逆に、その自閉性のために、技術的に高い発展を遂げた。自閉的な世界は、中世のスコラ哲学がそうであるように、細かな技術が発達する。その極限が大友だろう。大友は絵だけでマンガをどこまで表現できるかというテーマに取り組み、限界まで推し進めた反面、極端な視覚主義は、少なからず、嗅覚や聴覚、味覚、触覚を犠牲にしている。マンガで、それらを表現するには、手塚が堅持した記号化しかない。手塚亡き今、新たなマンガのルールが求められているとしても、もはや日本国内からは生み出す可能性は低い。日本語の非ネイティヴ・スピーカーによるマンガがそれを行うだろう。「外部性と越境の力学」がそこにはある。これからはマンガは、日本の影響を受けた海外で、むしろ、発展してゆく。

しかも、インターネットは英語の世界であり、ネットのサイバー・マンガは英語の構造に依存する。また、ネットの向こうには、多言語の世界が潜在的に存在し、携帯電話でウェブサイトを見る時代にさえ突入している。一九八九年に亡くなった手塚はインターネットには出会えなかった。『鉄腕アトム』の中でさまざまな未来予測を的中させた手塚だったが、インターネットは描いていなかった。ロボット開発史はARPANETに始まりインターネットへと向うネットワーク通信の歴史に奇妙に符合しているが、手塚は、逆に、国家の強化を予測している。手塚の盲点は「パーソナル」である。彼は携帯電話や電子メールを想定していなかった。だが、手塚にとって、未来は解釈項である。『鉄腕アトム』を未来という解釈項から読むとき、記号が再変換されるように、手塚を今という時代から考えると、そうなる。「手塚治虫」も記号なのだ。インターネットを通って、多種多用な言語のマンガも世界に向けて発信されている。手塚はそうしたサイバー・マンガに驚嘆して、多言語を貪欲に吸収し、「手塚治虫@ワールド(http://www.tezuka.co.jp/)」という公式サイトを通じて、新たな記号化を試み、ハイパー・マンガに挑戦していたかもしれない。パソコンに向い、自分のマンガのスタイルを大きく変え、大友のナノテクノロジーを超えるマンガのアトムテクノロジーに挑んでいたことだろう。

そして、アトム自身が『鉄腕アトム』を描き始めるときが到来する。海外からどころか、ロボットがマンガに参入してくるのだ。マンガが人間に独占され続けるなど幻想にすぎない。人間とロボットが、いや、すべての生成が共生して、マンガを描き、楽しむ日がきっとやってくる。それこそが手塚治虫が見ていたマンガという「得体の知れないもの」の夢だったのである。「マンガは、現在も、明日も、明後日も、分裂しては増殖しつつジワジワと変貌する」(『ぼくはマンガ家』)

 

どんなに 大人になっても 僕等は アトムの子供さ

どんなに 大人になっても 心は 夢見る子供さ

 

Fe-Fe-Feel it! Fe-Fe-Feel it!

 

いつでも 百万馬力で みるみる 力がみなぎる

だからね さみしくないんだ 僕等は アトムの子供さ

 

Fe-Fe-Feel it! Fe-Fe-Feel it!

 

Oh Boy どんな時でも 君の事だけを Oh Boy 考えていたっけ

 

意地悪 する子がいたって 最後は 仲良くなれたよ

あの子は どうしているだろ 今でも 大事な友達

 

みんなで 力を合わせて 素敵な 未来にしようよ

どんなに 大人になっても 僕等は アトムの子供さ

 

Fe-Fe-Feel it! Fe-Fe-Feel it!

 

Tribute to The King “O. T.”

(山下達郎『アトムの子』)

 

「おむかえでゴンス」。

〈了〉

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